解説
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天養2年(1145)に書写された維摩経(ゆいまきょう)の裏に書かれているもので、紙数18枚の巻物になっている。 巻末には「富士山麓に露の宿りをしてものの噂をしたついでに、仏前の経巻の裏に書きつけた」という意味のことが記してあり、最後に「□永元年梅月日実朝抛(ほう)筆」とある。 永の上の字は破れていて読めないが、奥書の中に「名は鎌倉辺の主とも云うべし」とあり、また、将軍実朝と同名だとことわっているので、時代はそれ以後である。流麗な草仮名で書かれており、室町時代までは下らないと思われるので、貞永元年(1232)か文永元年(1264)のいずれかであろう。 内容は、源氏物語の由来、巻数、作者、内裏(だいり)の名称などの解説、巻頭の桐壺以下3巻のあらすじと、その巻名の出所などの説明である。 紫式部が一条天皇の皇后上東門院の命により、石山寺にこもってこの物語を書いたこと、天台60巻になぞらえて60帖の予定で書き始めたと説くなど、仏教的な解釈が多い。また54帖のうち、6巻は内裏の宝蔵に秘蔵されていて世には伝わらないなどの珍しい説もみえる。 この「事書」が大勧進に伝来した事情は全く不明だが、源氏物語の古注として、また、たいへん美しい草仮名で書かれていることからも貴重な文書である。
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