解説
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文武学校は松代藩8代藩主真田幸貫により発案され、9代藩主真田幸教によって嘉永6年(1853)完成されたもので、安政2年(1855)に開校した。敷地面積は5288㎡、建物面積は1616㎡。 文学所・教室2棟(東序・西序)・剣術所・柔術所・弓術所・槍術所・文庫蔵・番所・門などからなり、ほとんど開設当時そのままの構造と面影を残している。
ここでは、文学や武術のほか西洋の軍学も教えられ、きわめて先進的な教育を行われていた。文武学校は多くの人材を育て、明治・大正期に各界で大いに活躍した人々を輩出している。 明治2年(1869)には、文学所に兵制士官学校を併設したが、明治4年9月(1871)、廃藩のため閉校となった。明治5年(1872)、長国寺の火災に伴い、槍術所がその庫裏として移転し、その後は松代小学校の校舎としても使われた。 昭和28年3月に国の史跡に指定、48年から保存修理工事に着手し、54年から一般公開されている。また、槍術所は平成8年に長国寺から移築され、創建当初の状態に復元された。
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