/ 4069ページ
画像
画像ビューア
文化財名 銅造地蔵菩薩坐像
文化財名(かな) どうぞうじぞうぼさつざぞう
欧文タイトル
資料名に関する注記
差出 作者
受取
製作者
年代 享保7(1722)
年代終
員数 1躯
形態
寸法(図録用)
大きさ(縦)
大きさ(横)
大きさ(高さ)
材質
形態に関する注記
保存状況
収録時間
縮尺
その他の注記
言語
ISBN
ISSN
テーマ 5善光寺・門前町に息づく歴史文化と祭礼
地区別 第二
関連する人物・団体
検索用時代区分_文化財 江戸時代
検索用時代区分_文化財コード
検索用時代区分_文化財終
検索用時代区分_文化財終コード
内容細目
解説  善光寺三門の下にあり、石畳の東側に西を向いて座している。もとは少し南の駒返り橋寄り、六地蔵の南にあったが、明治6年(1873)に経蔵の西に移され、さらに同27年5月(1894)に現在地に移された。
 銅造で像高268㎝、膝(ひざ)張り214㎝、蓮華座の高さ91㎝、石台座の高さは179㎝である。
 享保7年(1722)、水内郡普光寺(ふこうじ)村(現飯綱町)の法誉円信という真宗の僧が、国々の霊地を巡拝して法華経66巻を奉納して歩く巡礼(日本回国六十六部供養)が完了したのを記念して造立奉納したものである。
 台座正面に「日本廻国六十六部供養願主当所東町法蓮寺弟子 当国水内郡普光寺村 法誉円信 江戸神田鍛冶町 御鋳物師河合兵部藤原周徳 同石町三丁目 大仏師高橋大学」陰刻がある。続いて大施主上州群馬郡古市村黒崎喜平次吉英以下、大勢の施主の名が刻まれているが、上州の人がいちばん多い。
 面相は彫りが浅く柔和で、江戸時代中期としては鋳造技術も優れている。弘化大地震(善光寺地震=1847)までは上に覆屋があり、明治8年(1875)にも覆屋が再建されたが、現在地に移転後は露座になった。このため「ぬれ仏」と通称されている。
 また、この像については、八百屋お七の供養のために造られたという説もあるが俗説であって史実ではない。
解説(英語)
来歴
来歴(英語)
所在 長野市大字長野元善町
文化財番号 34
管理記号
カテゴリ区分
文化財種別 彫刻
大分類 指定等文化財
中分類
小分類
文化財情報 国指定/重要美術品/昭和 20年8月3日/1945/8/3
上位階層目録ID
関連目録ID
manifest.jsonへのURL
参照データ
長野市行政地図情報 https://www2.wagmap.jp/nagano/Map?mid=24&fid=116-48&mps=5000
関連画像URL
自治体史掲載
出版物・関連資料
翻訳の言語
権利関係・二次利用条件 独自規定あり
原資料の利用条件
権利関係・利用条件に関する注記
緯度・経度・高度に関する注記
汎用フィールド01
キーワード
備考
汎用フィールド09
汎用フィールド10
汎用フィールド11
汎用フィールド12
汎用フィールド13
汎用フィールド14
汎用フィールド15
汎用フィールド16
汎用フィールド17
汎用フィールド18
汎用フィールド19
汎用フィールド20
汎用フィールド21
汎用フィールド22
汎用フィールド23
汎用フィールド24
汎用フィールド25
DOI
既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
/ 4069ページ