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解説
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銘に「正雄」、裏銘に「嘉永三年八月」(1850)とあり、山浦正雄が47歳の円熟期の傑作である。当時彼は上田に住んでいた。 これは庖丁型の短刀で、長さ24.8㎝、元幅3.3㎝。菖蒲(しょうぶ)様(よう)の樋(①ひ)を茎(なかご)(中心)までかき通し、刃文は丸みのある大互(おおぐ)の目(め)乱れで、山浦風独特の豪華なものである。刃中に砂流がかかり金筋が走っている。地鉄は冴(さ)え、地肌の大板目(おおいため)がたいへん美しい。 正雄は文化元年(1804)、小県郡赤岩村(現東御市)に生まれ、25歳で上田藩の刀工河村寿隆に学んだ。天保8年(1837)、小諸藩主牧野遠江守、嘉永元年(1848)、上田藩主松平伊賀守、嘉永6年(1853)から松代藩主真田信濃守の抱(かかえ)刀匠となり、多くの名刀を残した。 銘は初め完利といったが、その後天然子寿昌、弘化3年(1846)から正雄、嘉永4年ごろから真雄または遊射軒真雄、明治元年以後は遊雲斉寿長といった。また、その在地名を刻みこんだものもある。 弟の清麿も、江戸に住んで「四ッ谷正宗」と呼ばれた名刀匠で、子の兼虎も父正雄とともに多くの名作を残している。 明治7年に71歳で郷里に没したが、墓は郷里と松代町大林寺にある。 注① 樋(ひ)・・・・刀身に施す彫刻で、細長いみぞ。 刀身の強度を減らさずに目方を軽くして使いやすくするためのもの。
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