解説
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開善寺は舞鶴山の北のふもとにある真言宗の寺である。真田信之が寛永元年(1624)、氏神である白鳥神社を小県郡から移したとき、同時に開善寺も移して同社の別当寺とした。 経蔵は万治3年(1660)の建築で、方三間、宝形(ほうぎょう)造り、茅葺(かやぶき)であったが、のちに鉄板を被せている。正面中央に桟唐戸(さんからど)をつり、左右を連子(れんじ)窓、ほかは板壁にして、桟瓦葺(さんがわらぶき)の裳階(もこし)は吹放ちにしている。 母屋は円柱上に台輪(だいわ)をおき、組物は出組である。中備(なかぞなえ)は中央を組物、左右を蓑束(みのづか)とし、隅の組物から象鼻(木鼻(きばな)の一種)を出す。裳階は面取りの角柱を用い、組物は三ッ斗で、前後に木鼻を出した珍しい形をとっている。 内部は総板張りで、格天井(ごうてんじょう)を張り、中央に八角の輪蔵(りんぞう)をおく。この輪蔵は各面に両開き扉を付け、内側に作った棚に大蔵経(だいぞうきょう)(天海版一切経)を納めている。 細部の手法は地方作の色が濃いものだが、輪蔵を安置した経蔵としては信濃でもっとも古いものである。 なお経蔵の建立を示す棟札(むなふだ)には、「万治三庚子年」の記銘があり、この棟札も附(つけたり)として県宝に指定されている。
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