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解説
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川柳(せんりゅう)将軍塚古墳は篠ノ井西部の湯ノ入山頂先端に築かれた前方後円墳で、ふもとには石川の集落と水田が広がっている。 墳丘の規模は全長93m、後円部径45m、高さ10m、前方部幅26m、高さ5mである。墳丘上の葺石と円筒埴輪の樹立が知られ、封土の規模が大きく、堀状の施設があるのが特徴である。 後円部は寛政12年(1800)に農民によって発掘されており、主軸上に長さ5.4~7.2m、幅1.8mの竪穴式石室が設けられ、側壁は割石を小口積みにし、内面は朱に塗られていたと伝えられる。また、鏡・車輪石・玉杖頭・筒形銅器・玉類・銅鏃などが大量に出土した。 前方部にも長さ2.7m、幅1.2mの竪穴式石室が設けられていて、構造は後円部と同じく、遺物も出土したという。 この古墳は4世紀末から5世紀前半に築かれたもので、畿内の勢力と密接なかかわりをもつ首長の墳墓として重要視されている。
姫塚古墳は、川柳将軍塚古墳と同じ尾根の200m北、比高差30mの高所にある前方後方墳で、全長31m、後方部幅20m、高さ4m、前方部高さ2m。未発掘墳だが、立地、墳形から川柳将軍塚より古く、松本市弘法山古墳とほぼ同年代の4世紀中葉ごろに築造されたと考えられている。
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