解説
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佐久間象山が万延元年(1860)松代聚遠楼蟄居(ちっきょ)時代の50歳の時に、自作の賦(ふ)を縦176㎝、横97㎝の唐紙に書いたもので、軸全体は縦249㎝、横134㎝の大幅である。 賦の大意は「桜花が日本の名花である如(ごと)く、私も日本に比類のない卓見を懐いている。開国して外国の学術と技芸を取り入れることが唯一の国防の策であるが、攘夷論が天下を動かしているのは憂慮に堪えない。今ここに於(お)いて頼み奉るのは皇室である。私の意を採用して、開国の国是を確立していただきたい」というものである。 この賦は759文字の顔真卿(①がんしんけい)の書風で書かれており、文久2年(1862)に孝明天皇の天覧に供されている。 象山はまたこの賦の注に「家厳、国を慮り時を憂え、心を防海に潜むること十数年、人の未だ嘗(かつ)て思わざる所を思い、人の未だ嘗て発せざる所を発す。忠を竭(つく)し悃(まこと)を致せども、ただその効を見ざるのみならず、遂に是に由りて罪を獲て、禁錮(こ)せらること茲(ここ)に九年なり、感じて桜賦を著す」と書いており、天覧の報に「居然山沢の一腐儒 廃錮九年形迹弧なり多謝す三春白桜の樹 徴言汝(桜を指す)に因って元都に達す」と感激している。 注①顔真卿(がんしんけい)・・・・唐代の忠臣、書家。
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