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文化財名 木造金剛力士像
文化財名(かな) もくぞうこんごうりきしぞう
欧文タイトル
資料名に関する注記
差出 作者
受取
製作者
年代 1498年(明応7)(の銘有り)
年代終
員数 2躯
形態
寸法(図録用)
大きさ(縦)
大きさ(横)
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材質
形態に関する注記
保存状況
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言語
ISBN
ISSN
テーマ 6自然と信仰が紡ぐ戸隠の歴史文化
地区別 第二
関連する人物・団体
検索用時代区分_文化財 室町時代
検索用時代区分_文化財コード
検索用時代区分_文化財終
検索用時代区分_文化財終コード
内容細目
解説  善光寺本堂の東南に道路を隔てて大きな寺がある。これが寛慶寺で、栗田氏が市内栗田に開基した寺である。栗田氏は戸隠山の別当として平安時代から戸隠山と関係を持ち、江戸時代に栗田は戸隠山千石分の一部の社領でもあった。
 この関係かどうかわからないが、明治初年の神仏分離による廃仏毀釈で戸隠山奥院の仁王堂(いまの随神門)に安置されていた仁王(金剛力士)が、戸隠山を出てこの寛慶寺にあるのは奇しき縁である。
 二躯の金剛力士像は阿形(①あぎょう)・吽形(うんぎょう)ともに檜材の一木造りで、像高は両者とも280㎝である。単髻、彫眼(②ちょうがん)で、肉身朱彩としている。

「明応七年(1498)五月八日 安養寺林首座 願主浄泉十穀」の銘記があり、また、宝永四年(1707)・安永三年(1774)の修理についての記録が残っている。
 秀作ではないが、戸隠山盛時の数少ない遺品のひとつとして保存すべきものである。

 注①阿形(あぎょう)・吽形(うんぎょう)・・・金剛力士(仁王)は口を開く阿形と口を閉じる吽形とが一対となり、守門神となる場合が多い。阿・吽は一切の文字音声の根本とされ、それぞれ息を吐くことと、息を吸うことを意味する。
 注②彫眼(ちょうがん)・・・・玉眼(水晶をはめ込んだもの)を用いず、じかに彫ってある木彫像の眼。
解説(英語)
来歴
来歴(英語)
所在 長野市大字長野東之門町
文化財番号 68
管理記号
カテゴリ区分
文化財種別 彫刻
大分類 指定等文化財
中分類
小分類
文化財情報 市指定/市指定有形文化財/昭和 44年9月10日/1969/9/10
上位階層目録ID
関連目録ID
manifest.jsonへのURL
参照データ
長野市行政地図情報 https://www2.wagmap.jp/nagano/Map?mid=24&fid=15-48&mps=5000
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自治体史掲載
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DOI
既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
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