解説
|
百万塔は天平宝字八年(764)の恵美(えみの)押勝(おしかつ)(藤原仲麻呂)の乱が治まってのち、孝謙天皇の宝亀元年(770)に押勝の追福のために造られたものである。木造三重の小塔で100万基造り、十大寺に10万基ずつ納めたというが、みな滅び、ただ法隆寺ものだけが伝えられてきた。 明治四十一年五月、法隆寺は百万塔の一部を譲与して同寺の基金とした。寛慶寺・大本願・往生寺・西光寺の百万塔はこのとき譲り受けたものである。 塔は平面が円形の三層塔形で、総高21.5㎝。直径は、基礎下面10.5㎝、同上面10.1㎝、一層9.1㎝、二層8.5㎝、三層7.5㎝である。 檜材の轆轤(ろくろ)挽(び)きで、円形の基部の上に三層塔を共木で彫り出し、上部から円形の穴をあけて相輪(①)を差しこんでいる。相輪の下の穴には木版印刷の陀羅尼(②だらに)が納められているが、これは世界最古の印刷物である。 大本願のものはほとんど完全だが、寛慶寺のものは二・三層と相輪に少し欠けたところがあり、往生寺のものは相輪の下半部が少し傷んでいて、陀羅尼が失われている。また、西光寺のものは相輪の部分が少し欠け、経巻はその一部に傷みがあるが、ほぼ完全に保存されている。 注①相輪・・・仏塔の上にある金属の部分の名称。ここでは木製であるが、相輪をかたどったもの 注②陀羅尼(だらに)・・・梵語(サンスクリット)の長文の呪文(じゅもん)
|