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解説
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昭和三十六年四月、長野市安茂里の平柴古新田で、浄水場拡張にともなう工事が行われた際、小円墳と思われるものが破壊され、本資料および直刀などが出土した。幸いにも現場責任者により採集され、本資料だけが保存されたものである。 この獣形鏡は直径14.2㎝、外反0.5㎝の青銅製凸面鏡で、保存の良い優品である。 鏡背(裏側)は外区(①)を素文帯菱雲文帯とし、内区(②)に五個の乳(にゅう)を配して、その間に獣形と坐神像をあらわしている。鈕(③ちゅう)は円形素肌である。製鏡(④ぼうせいきょう)の多くがそうであるように、獣形も坐神像もそれが何であるのかはっきりしない。 この種の製銅鏡のもとは魏鏡(ぎきょう)と考えられている三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)で、その形態が全く形式化していることから、五世紀も後半にかかる製作のものと思われる。 また、古墳の内部構造を明らかにできないいま、その副葬された時期も特定できないが、破壊された古墳はおそらく六世紀に入るものだろう。 なおこうした製鏡が畿内大和政権(⑤)とのかかわりあいのうえで理解されるべきものであることを考えると、善光寺平西縁部のひとつの在り方をうかがい知る資料であるといえるだろう。
注① 外区、②内区・・鏡背の文様のある部分の名称 注② 鈕(ちゅう)・・・・鏡背の中心に突起したつまみで、紐をとおす孔がある。 注④製鏡(ぼうせいきょう)・・中国の鏡を模して我が国で作られた鏡 注⑤畿内大和政権・・「魏志(ぎし)倭人伝(わじんでん)」に卑弥呼(ひみこ)が魏に使いを送った返礼に、銅鏡100枚その他を受けたという記述があり、その鏡が三角縁神獣鏡だったという説がある。?製鏡が出土する古墳の被葬者が大和政権となんらかの関係があったことが推察される。
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