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解説
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弥生時代の青銅器には、実用品ではないと思われる銅利器と、楽器と考えられる銅鐸(どうたく)がある。その分布によって、北九州を中心とする銅利器文化と畿内を中心とする銅鐸文化に分かれ、ともに弥生期の祭祀(さいし)にかかわる遺物として注目されてきた。 この銅鉾(どうほこ)と模造鉾は、昭和八年に塩崎の松節遺跡から出土したもので、木炭・焼土・土器片などをともなう円形石囲い炉の中に並んで発見されたという。松節遺跡は千曲川左岸の自然堤防上に弥生期から平安期まで営まれた集落址である。 銅鉾は全長20.2㎝、幅4.8㎝で広形銅鉾の約四分の一にあたる尖端(せんたん)部分と考えられる。滑石(かっせき)製のものは全長19.8㎝、幅3.2㎝あり、銅鉾の模造と考えてよいだろう。土器の紛失のためこの資料の時期ははっきりしないが、弥生期のものと思われる。 銅鐸文化は長野県塩尻市を東縁とするもので、この銅鐸文化圏を飛び越えた東北信に銅利器の出土する遺跡があることは興味深い。また、弥生式後期の箱清水文化とも重なるこの銅利器の分布は、今後に大きな課題を残している。
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