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解説
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この二点は昭和四十二年三月、若穂保科の山麓(さんろく)傾斜地に植林の際、山林の中から検出されたものである。その後の所見によると、採集地点に墳丘の一部が遺存しており、積石塚主体部からの出土であったと思われる。 素環頭(①そかんとう)太刀(たち)は、全長75㎝、刀身の幅およそ3㎝の鉄製素環頭付き内反(うちぞり)太刀で、素環の直径は5㎝である。素環頭の環状部分は茎子(②なかご)から続けて打ち出しており、その断面はほぼ方形である。また、その環状部の一端は茎子に接続しておらず、この太刀の大きな特徴となっている。 もうひとつの内反太刀も鉄製で、全長72㎝、刀身の幅2.5㎝と、素環頭太刀に比べ少し細手である。 素環頭太刀は中国や朝鮮半島で盛んだったもので日本では弥生時代中期から後期にかけての墳墓、あるいはそれに後続する古墳時代前期の古墳に副葬品として出土する。また前期古墳と並行して営まれたと思われる祭祀(さいし)遺構からも極めて限られた資料が知られている。 長野県では諏訪のフネ古墳などから発見されている。所属期はおよそ四世紀後半から五世紀前半でそれ以降は下らない。 弥生式文化終末期から古墳文化成立期の事情を物語るものとして、善光寺平東縁部の比重をはかることのできる重要な資料といえる。
注①素環頭(そかんとう)太刀(たち)・・柄頭(つかがしら)(柄の先端部)に環状の飾りをつけた刀剣を環頭太刀といい、その環内に装飾のないものを素環頭という。 注②茎子(なかご)・・・・・太刀の柄(つか)の部分。
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