解説
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松代町のほぼ中央の片羽町にある。旧藩時代、昼夜の区別なく一時(いっとき)(2時間)ごとに大鐘をつかせて時刻を知らせ、また、城下に出火の際も鐘を鳴らして非常を知らせたものである。 敷地9.1m四方の基壇に立つ井楼(せいろう)式高櫓形鐘楼で、屋根は切妻の瓦葺きである。礎石上に柱を各辺三本立て、根固貫(ねがためぬき)は通さず、途中から3段に貫・梁を通して柱間をつなぐ。土間を除いて1階と2階の床は板張りとし、各階を梯子(はしご)で連絡している。また、本柱のほか、2階の貫に寄せて4本の支柱を立て、2階貫から下を下見張りとする。 この鐘楼は真田信之が元和8年(1622)に上田城から移り松代城主となってまもない寛永元年(1624)、初めて火の見櫓とともに設けたもので、ここに足軽割番所を置いたので割番所ともいった。 その後3度火災で焼け、いまの鐘楼は享和元年(1801)の再建である。また、文化3年(1806)に鋳直した鐘は太平洋戦争中に供出されたが、平成3年3月に新しい鐘が取り付けられた。
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