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解説
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この一里塚は、稲田集落から東に950mほどの畑の中にあり、農道をはさんで2基が向かい合っている。 北側のものは高さ3.5m、南北の直径約9mあり、南側のものは高さ2.6m、南北の直径約9mである。両方とも上に松が生えており、北側の塚には二十六夜塔(慶応元年=1865)が建てられている。 一里塚は慶長9年(1604)に徳川秀忠の命で築かれたものだといわれる。 この一里塚はのちの北国街道から全くはずれているが、最初の街道は吉田から吉・四ッ屋(牟礼村)を経て、牟礼宿に通じていたらしい。
北国街道の一里塚は淀(よど)ヶ橋・吉にもあったが、淀ヶ橋のものは跡形もなくなり、吉のものはひとつだけが残っていて、このようにふたつが完全に近い形で残っているのは珍しい。これから北には、牟礼村四ッ屋・信濃町野尻上ノ原などにふたつそろった一里塚が見られる。 この稲積一里塚は、ほぼ原形のままで残っているというだけでなく、一里塚が築かれたのちに北国街道の道筋が変わっていることを示している点でも重要な遺跡である。
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