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文化財名 稲積一里塚
文化財名(かな) いなづみいちりづか
欧文タイトル
資料名に関する注記
差出 作者
受取
製作者
年代 1604年(慶長9年)
年代終
員数 2基
形態
寸法(図録用)
大きさ(縦)
大きさ(横)
大きさ(高さ)
材質
形態に関する注記
保存状況
収録時間
縮尺
その他の注記
言語
ISBN
ISSN
テーマ
地区別 若槻
関連する人物・団体
検索用時代区分_文化財 江戸時代
検索用時代区分_文化財コード
検索用時代区分_文化財終
検索用時代区分_文化財終コード
内容細目
解説  この一里塚は、稲田集落から東に950mほどの畑の中にあり、農道をはさんで2基が向かい合っている。
 北側のものは高さ3.5m、南北の直径約9mあり、南側のものは高さ2.6m、南北の直径約9mである。両方とも上に松が生えており、北側の塚には二十六夜塔(慶応元年=1865)が建てられている。
 一里塚は慶長9年(1604)に徳川秀忠の命で築かれたものだといわれる。
この一里塚はのちの北国街道から全くはずれているが、最初の街道は吉田から吉・四ッ屋(牟礼村)を経て、牟礼宿に通じていたらしい。

 北国街道の一里塚は淀(よど)ヶ橋・吉にもあったが、淀ヶ橋のものは跡形もなくなり、吉のものはひとつだけが残っていて、このようにふたつが完全に近い形で残っているのは珍しい。これから北には、牟礼村四ッ屋・信濃町野尻上ノ原などにふたつそろった一里塚が見られる。
 この稲積一里塚は、ほぼ原形のままで残っているというだけでなく、一里塚が築かれたのちに北国街道の道筋が変わっていることを示している点でも重要な遺跡である。
解説(英語)
来歴
来歴(英語)
所在 長野市稲田
文化財番号 100
管理記号
カテゴリ区分
文化財種別 史跡
大分類 指定等文化財
中分類
小分類
文化財情報 市指定/市指定記念物/昭和 42年11月1日/1967/11/1
上位階層目録ID
関連目録ID
manifest.jsonへのURL
参照データ
長野市行政地図情報 https://www2.wagmap.jp/nagano/Map?mid=24&fid=163-48&mps=5000
関連画像URL
自治体史掲載
出版物・関連資料
翻訳の言語
権利関係・二次利用条件 独自規定あり
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DOI
既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
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