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解説
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もとは松代藩家老望月主水の下屋敷にあった建物である。安政元年(1854)、佐久間象山は吉田松陰の渡航事件に連座し、国元蟄居を命ぜられて聚遠楼に住んでいたが、来客があるとしばしばこの高義亭の2階7畳半の間で応対し、国家の時勢を論じたという由緒深い建物である。 木造2階建の寄棟造りで、屋根は桟瓦葺(さんがわらぶき)とする。下屋根も瓦葺きであるが、一部鉄板を用い、東に切妻屋根を出す。 1階は、玄関(2坪)・取り次ぎの間(6畳)・次の間(9畳)・客間(10畳)・茶の間(6畳)・勝手(4畳半)と、西に納戸を造り出す。玄関は土間と式台からなり、次の間は南に明障子、外に縁を付す。客間と次の間は襖(ふすま)で仕切り、外側に明障子を立てて縁を回す。取り次ぎの間から北に通る廊下で客間・茶の間・勝手に通じ、茶の間わきに階段を付けて2階の昇り口とする。 2階は、階段を昇ったところに踊り場、南に控えの間、東に6畳間、北に置床付き7畳半の間がある。ここが象山が来客と対応した間である。 明治以後住人が替わり、増築して原形を一部変えたところもあったが、現在地に移建した際、当時の構造に復元したものである。
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