|
解説
|
この地区は古来から千曲川と犀川に浸食されることから、小字名にも島・河原がつく名が多い。大豆島(まめじま)の名は大豆を二升まけば二石二斗二升とれたとの言い伝えによるが、土地の肥沃さを意味するものだろう。また蚕の本場でもあった。 甚句は「神供」または「甚九」など種々説があり、神に供える踊りの名として起こったものだという。 その歌詞は現在大豆島だけに残されているが、かつては川中島平一帯に共通したもののようで、野良着のすそをはしょり、手拭(ぬぐ)いのほおかぶりに蓑(みの)笠(かさ)をつけて踊ったという。 大正初めごろまでは有志が元方となって継承しており、のちに満20歳になった若者が元方となって、前の元方は古役に退いた。毎年の盆踊りには十重(とえ)二十重(はたえ)の踊りの輪となって、笛や太鼓の音とともに神社の境内はにぎやかだったものである。 「ままよまめじま、かいこのほんば」と歌えば、踊り子が「むすめやりたやくわつみに」とつけ、その返しとして音頭取りが「やりたややりたやむすめ」と歌う。 返しがあるのが特徴で、七七七五調の仕事唄である。
|