|
文化財名
|
旧作新学校本館
|
|
文化財名(かな)
|
きゅうさくしんがっこうほんかん
|
|
欧文タイトル
|
|
|
資料名に関する注記
|
|
|
差出 作者
|
|
|
受取
|
|
|
製作者
|
|
|
年代
|
1883年(明治16年)
|
|
年代終
|
|
|
員数
|
1棟(木造2階建、瓦葺、寄棟造、延床面積327.22㎡)
|
|
形態
|
|
|
寸法(図録用)
|
|
|
大きさ(縦)
|
|
|
大きさ(横)
|
|
|
大きさ(高さ)
|
|
|
材質
|
|
|
形態に関する注記
|
|
|
保存状況
|
|
|
収録時間
|
|
|
縮尺
|
|
|
その他の注記
|
|
|
言語
|
|
|
ISBN
|
|
|
ISSN
|
|
|
テーマ
|
|
|
地区別
|
更北
|
|
関連する人物・団体
|
|
|
検索用時代区分_文化財
|
明治時代
|
|
検索用時代区分_文化財コード
|
|
|
検索用時代区分_文化財終
|
|
|
検索用時代区分_文化財終コード
|
|
|
内容細目
|
|
|
解説
|
長野市にある明治初期の学校建築では、明治8年(1875)に建設された旧長野県師範学校教師館(県宝)がもっとも古く、明治16年(1883)に上棟された旧作新学校本館は、それに次ぐ歴史を持つ。 作新学校は明治6年(1873)に下氷鉋・広田・藤牧・小島田・青木島の五か村の組合によって開校され、当初は善導寺を仮校舎とした。その後、児童数の増加により本館が建設され、同16年(1883)12月7日に上棟式が行われた。棟札によれば、大工棟梁は稲荷山町の宮崎弥助という人物で、横浜で西洋建築を学んだと伝わる。用材は長野市信更町の田野口から伐採された。 間口8間、奥行6間の木造総2階建で、四方を漆喰塗りとし、洋風の窓をつけ、また正面中央に和風の玄関を有する擬洋風建築である。 昭和31年(1956)に民間工場に譲渡され、下氷鉋小学校の校庭の南西に移されたが、同49年(1974)に創立百周年を記念して、再び校内に移築され、作新記念館として復元整備が行われた。令和5年(2023)から7年(2025)にかけて実施された全面的な保存修理工事では、破損箇所の修復、外観の復旧及び耐震補強などが行われた。 長年、学校校舎として使用されてきたため、内部の改変は多いものの、柱や梁などの構造材は建築当初のものが残されており、地域の教育の歴史を伝える建物として貴重な文化財である。
令和の保存修理工事に関する情報はこちら https://www.city.nagano.nagano.jp/n151100/contents/p006113.html
|
|
解説(英語)
|
|
|
来歴
|
|
|
来歴(英語)
|
|
|
所在
|
長野市稲里町下氷鉋
|
|
文化財番号
|
162
|
|
管理記号
|
|
|
カテゴリ区分
|
-
|
|
文化財種別
|
建造物
|
|
大分類
|
指定等文化財
|
|
中分類
|
|
|
小分類
|
|
|
文化財情報
|
市指定/市指定有形文化財/昭和 56年8月17日/1981/8/17
|
|
上位階層目録ID
|
|
|
関連目録ID
|
|
|
manifest.jsonへのURL
|
|
|
参照データ
|
|
|
長野市行政地図情報
|
https://www2.wagmap.jp/nagano/Map?mid=24&fid=316-48&mps=5000
|
|
関連画像URL
|
|
|
自治体史掲載
|
|
|
出版物・関連資料
|
|
|
翻訳の言語
|
|
|
権利関係・二次利用条件
|
独自規定あり
|
|
原資料の利用条件
|
|
|
権利関係・利用条件に関する注記
|
|
|
緯度・経度・高度に関する注記
|
|
|
汎用フィールド01
|
|
|
キーワード
|
|
|
備考
|
|
|
汎用フィールド09
|
|
|
汎用フィールド10
|
|
|
汎用フィールド11
|
|
|
汎用フィールド12
|
|
|
汎用フィールド13
|
|
|
汎用フィールド14
|
|
|
汎用フィールド15
|
|
|
汎用フィールド16
|
|
|
汎用フィールド17
|
|
|
汎用フィールド18
|
|
|
汎用フィールド19
|
|
|
汎用フィールド20
|
|
|
汎用フィールド21
|
|
|
汎用フィールド22
|
|
|
汎用フィールド23
|
|
|
汎用フィールド24
|
|
|
汎用フィールド25
|
|
|
DOI
|
|
|
既刊目録名
|
|
|
デジタル化の経緯に関する注記
|
|