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解説
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葛山(かつらやま)城は川中島の戦いの三回目の戦いの前、弘治三年(1557)二月十五日(太陽暦で三月二十六日)、武田軍に攻められて落城した。城将は落合氏(備中守と伝える)で、葛山衆と称する武士たちが守っていた。落城についての史料は多く、川中島の戦いの中でももっとも重要な事件のひとつである。 城跡は実戦の場となった城にふさわしく、郭(曲輪)の数は約六十に上り、県下の山城の中でも屈指の規模を持つ。本丸跡は山頂にあり、その東は斥候場と呼ばれ、六条の空堀がある。北は本丸直下の二の丸に続き、蔵屋敷と呼ばれる郭が数段あり、炭化した米が出土する。 この城は善光寺から戸隠に通ずる道を押さえる要所を占めていた。ここの落城によって飯綱・戸隠高原およびそこを通って越後と犀川丘陵地方を結ぶ道が武田の支配下に入り、武田氏の川中島支配の体制がほぼできあがったわけである。
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