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文化財名 熊野出速雄神社本殿
文化財名(かな) くまのいずはやおじんじゃほんでん
欧文タイトル
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差出 作者
受取
製作者
年代 15世紀末~16世紀初期
年代終
員数 1棟
形態
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大きさ(横)
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テーマ
地区別 松代
関連する人物・団体
検索用時代区分_文化財 室町時代
検索用時代区分_文化財コード
検索用時代区分_文化財終
検索用時代区分_文化財終コード
内容細目
解説  熊野出速雄神社は皆神山上にあり、一般に皆神神社として知られている。熊野出速雄神社はその本社に相当し、出速雄神ほか計7神を祭神として祀る。中世以降、熊野系の修験道の聖地として栄え、「熊野三社権現」と呼ばれたが、明治維新の神仏分離令により、山伏は還俗し、社名を「熊野出速雄神社」に改めた。
 本殿の建築年代について、社伝では康応元年(1389)の再建と伝え、また、野火で全焼したとの伝えもある。本殿の構造形式は、後述のように、15世紀末期ないし16世紀初期の特徴をもち、かつて内陣に安置されていた本尊(現在は本殿隣の宝物殿に安置)の底面及び台座の墨書「弥勒二年」(天文元年1532)の造立銘と年代的にほぼ符合し、15世紀末期ないし16世紀前期の建築と推定される。
 その構造形式は間口柱間三間、奥行柱間五間の縦長平面で、屋根は鉄板葺(元茅葺)で正面と後方左右に入母屋破風をつけた撞木造である。四周に縁をまわし、軒を支える支柱を建てる。軸部は、円柱の上に台輪と桁を載せ、組物を用いず、軒は一軒疎垂木の簡素な形式である。
 内部は、現在三室に区切られているが、当初は、内陣と外陣の二室に区切られていたことがわかる。
なお、虹梁下面の錫状彫や古い垂木にみられる反りと増しが、室町後期建築の特徴を示している。
この北信地方は、かつて修験道の栄えた地域であるが、現存する遺構は少なく(小菅神社奥社本殿(重文、推定1508年)、戸隠神社宝光社(1861年))、その点で、熊野出速雄神社本殿は中世の遺構であり、非常に貴重である。
 また、妻入の形式も、上記2棟や建応寺跡(中野市)の建物とも共通し、修験道建築の特色を示すと考えられる。
(長野県指定文化財候補物件調査票より: 調査者 大河氏)
解説(英語)
来歴
来歴(英語)
所在 長野市松代町松代豊栄
文化財番号 179
管理記号
カテゴリ区分
文化財種別 建造物
大分類 指定等文化財
中分類
小分類
文化財情報 県指定/県宝/平成 6年8月15日/1994/8/15
上位階層目録ID
関連目録ID
manifest.jsonへのURL
参照データ
長野市行政地図情報 https://www2.wagmap.jp/nagano/Map?mid=24&fid=342-48&mps=5000
関連画像URL
自治体史掲載
出版物・関連資料
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権利関係・二次利用条件 独自規定あり
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既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
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