|
解説
|
諏訪神社本殿のある浅川西条はもと若槻庄西条だったと思われる。源氏の一族若槻氏がこの地に住み着き、その根拠地東条や押田にはそれぞれ八幡神社が祭られた。 室町時代、善光寺平は生産力が向上し、有力農民を中心とする郷村が成立しつつあった。 この諏訪神社は多分そのような新しいムラの氏神として、建立されたものであろう。 この本殿は、安政2年(1855)に再建された覆屋の中にある「一間社流造り」こけら葺き(高さ3.3m 幅1.1m 奥行2m)の社殿である。 棟札が残っていないので建築年代は不明であるが随所に室町様式が見られ、室町中期、15世紀前半の建築と見られる。(ただし桃山時代という説もある。) 当社の使用材は地元の松で、節の多い材料を苦心して使用しており、あまり豊かでない農村が一致協力して、自分たちの社をたてた様子が随所に窺(うかが)える。 垂木の先端を削り、やや上方に反らせたり、南面高所の見えない壁にまで模様をつけたりするなど、細かい所に神経を使っている。 その構造の特徴として県下の室町時代の建築に必ず使用されている皿板が使用されており、蟇股(かえるまた) は古式で釈尊寺観音堂宮殿(1258)の蟇股と良く似ている事などがある。 特に木鼻の渦巻文様は真円に近く、小布施の浄光寺薬師堂(1408)の渦巻文様に極めて似ており中世社寺建築を知る上で貴重である。 (長野県指定文化財候補物件調査票より:調査者小林氏)
|