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文化財名 萩野城跡
文化財名(かな) はぎのじょうあと
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年代 戦国時代
年代終
員数 1
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地区別 中条
関連する人物・団体
検索用時代区分_文化財 室町時代
検索用時代区分_文化財コード
検索用時代区分_文化財終
検索用時代区分_文化財終コード
内容細目
解説  萩野城跡は、七二会の西北、知足院と中条臥雲院との中間、標高1176m(西嶺)及び1184m(東嶺)の山頂一帯にある山城で、山城としては高所にあって県内でも、これに匹敵する高所の山城はあまり見ない。
 その構造として、山頂は二つの嶺に分かれている。西嶺が広く、その山頂を本郭とし、その西を二の郭とする。
 本郭は東西34m、南北17mの不整楕円形をなし、本郭と二の郭との間に上幅7m、下幅1.5mの堀切がある。二の郭はこの城の中心で東西70m、南北17mの長方形をなす。二の郭の周囲には腰郭(一部は通路)があり、西端には二段の郭があるが、堀切はなく防備の施設に乏しい。東嶺にある脇郭は南北20m、東西10mの楕円形である。
 このように山城としての構造も甚だ単純で、戦国期の山城と縄張りを異にしている。
 築城年代は明らかではないが、戦国期の山城に先行するものと見ることもできそうである。
 永禄2年(1559)2月に臥雲院住持南室正頓の筆写した「臥雲院縁起」には、建久8年(1197)に源頼朝が善光寺参拝の砌、臥雲院に参拝し、寺領80貫を寄付し寺領の境を決めたその境は今も変わらず、その東境は萩野城櫓岑(やぐらみね)であったと記されている(信濃史料17-494)。縁起を全面的に信用することはできないが、戦国期に「萩野城櫓岑」と呼ばれる場所があったことは確かである。中世の山城を知る上で貴重な史跡である。
解説(英語)
来歴
来歴(英語)
所在 長野市中条日下野
文化財番号 194-2
管理記号
カテゴリ区分
文化財種別 史跡
大分類 指定等文化財
中分類
小分類
文化財情報 市指定/市指定記念物/平成 5年6月10日/1993/6/10
上位階層目録ID
関連目録ID
manifest.jsonへのURL
参照データ
長野市行政地図情報 https://www2.wagmap.jp/nagano/Map?mid=24&fid=288-48&mps=5000
関連画像URL
自治体史掲載
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権利関係・二次利用条件 独自規定あり
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DOI
既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
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