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解説
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安茂里の犀川神社は天安2年(858)に現在の正覚院月輪寺が創建されたのを機に、その鎮守としてまつられたのが最初と言われている。長い間その社号は日吉山王社として知られていたが、文政7年(1824)に社号を変更し、現在の犀川神社という社号になった。杜煙火はこの社名変更披露の際に奉納したのがはじまりとされている。 以後、一時は衰退の時期もあったが、毎年9月21日の秋祭りの夜は、犀川神社の社叢を利用した仕掛け煙火(杜煙火)が奉納されている。 演目は十二燈・三宝・笠鉾・車火・仕掛煙火・五寸十発・金せん火・大スターマイン・ナイヤガラ・白滝・清滝で、天保14年(1843)の番付と順序は大差なく行われる。 公演は、以下の三流派ほか、放送方、警備方で行われる。 ・ 小西霞真流14人・・・・狼煙で日中に煙を扱う小西(小路、西河原)が霞真流 ・ 大門大火流11人・・・・大門が夜に火を扱うので大火流 ・ 差出昇声流12人・・・・差出が声や音を扱うので昇声流 古くは村の若衆組が、師匠の年長者からの口伝で教えられ、各家の長男のみに義務付けられた。火薬調合の秘伝書(①)や器具(②)も保存されており、また後継者の育成や技術の保存にもつとめている。
注① 秘伝書・・・文化11年・文政12年・弘化3年・明治11年の秘伝書が残されている。 注② 器具・・・・秤・薬研・摺鉢・刷毛・匙・木槌・竹筒・縄・火縄など
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