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解説
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この煙火の由来は、諏訪神社秋祭に奉納された杜煙火であるとされている。 伝承によると、天保7年(1836)に疫病が流行し、村内協議の上、硫黄または硝石の香りが疫病に効能があるとして、煙火奉納したところ、翌年以来疫病は絶滅したという。 これは神慮にかなったものとし、以後大神楽の奉納により豊作を、杜煙火の奉納により疫病の予防を祈った。 文久3年(1863)の「瓜割煙火法帳」に製法等が書かれているが、古くは若衆組が師匠から口伝で教わり、近隣の村々と独自の煙火を研究・競合し技法の向上に努めてきた歴史を持つ。現在は伝統的製法と新技法で、秋祭の9月20日(現在は秋分の日)に奉納されている。 構成員は、長持担ぎ・現場仕掛け・打揚係・綱火の係・世話役、そして会員全員が当たり、演目は御神前・手牡丹・立火・額火・仕掛・瓜割の華・清瀧・スターマイン・大綱火などで、文久3年より煙火法帳を基本に改良している。
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