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解説
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若槻山城跡は、長野市北部の浅川西条から若槻東条にかけての一帯にある山城である。 この若槻山城は、1400年代(室町時代初期)には、ふもとの若槻里城とともに築城されていたものと考えられている。山城は、本郭後部の堀の中核土塁など信濃の戦国山城によく見られる造りである。 主郭は、標高676m、南北55m、東西25mで周囲を土塁で囲む。城跡の六つの曲輪群やその曲輪の大きさは抜群で、堅堀横堀の規模や、標高ほぼ800mほどの地点の番所やその北に連続する大小の堀跡など大掛りな山城である。 明治初年の村史によると城跡は東西約70間(127m)、南北約100間(182m)、面積約7000坪あり、四周に堀を巡らし、堀の幅は広いところで約10間(18.2m)、狭いところで6間、長さ約70間(127m)であった。 残存状況が実によく、古さとともに、堀の造り、北への構えなど、室町から戦国期にかけての山城の典型を示しており、貴重である。
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