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文化財名 戸隠神社信仰遺跡
文化財名(かな) とがくしじんじゃしんこういせき
欧文タイトル
資料名に関する注記
差出 作者
受取
製作者
年代 平安-江戸時代
年代終
員数 面積 408,312㎡(奥社:225,221㎡ 中社: 宝光社: 小川村:)
形態
寸法(図録用)
大きさ(縦)
大きさ(横)
大きさ(高さ)
材質
形態に関する注記
保存状況
収録時間
縮尺
その他の注記
言語
ISBN
ISSN
テーマ 6自然と信仰が紡ぐ戸隠の歴史文化
地区別 戸隠
関連する人物・団体
検索用時代区分_文化財 平安時代,江戸時代
検索用時代区分_文化財コード
検索用時代区分_文化財終
検索用時代区分_文化財終コード
内容細目
解説  戸隠神社は、奥社・中社・宝光社の三社からなる。平安時代から修験道が行われ、日本有数の霊地として知られていた。その歴史は古く、縁起によれば、嘉祥2年(849)頃、学問行者により戸隠寺(奥院)が開かれたといわれる。その後200余年を経て康平年間(1058頃)に宝光院が、さらに寛治年間(1087頃)に中院がそれぞれ開かれたと伝えられている。明治のはじめの神仏分離令を機に、奥院・中院・宝光院の名称をそれぞれ奥社・中社・宝光社と改めた。また戦国時代には、戸隠は武田・上杉の争乱に巻き込まれた。危難を避けるため、衆徒らは30kmほど離れた筏が峯(現小川村)に移り、その後30年ほどして戸隠に帰山した。この筏が峯の三院跡(奥院跡・中院跡・宝光院跡)にも戸隠修験の旧態がよく保存されている。これら山岳信仰の歴史を今に伝える奥社・中社・宝光社及び筏が峯三院跡が、戸隠神社信仰遺跡として県史跡に指定されている。
解説(英語)
来歴
来歴(英語)
所在 長野市戸隠中社・奥社・宝光社
文化財番号 239
管理記号
カテゴリ区分
文化財種別 史跡
大分類 指定等文化財
中分類
小分類
文化財情報 県指定/県指定記念物/昭和 54年3月22日/1979/3/22
上位階層目録ID
関連目録ID
manifest.jsonへのURL
参照データ
長野市行政地図情報 https://www2.wagmap.jp/nagano/Map?mid=24&fid=254-48&mps=5000
関連画像URL
自治体史掲載
出版物・関連資料
翻訳の言語
権利関係・二次利用条件 独自規定あり
原資料の利用条件
権利関係・利用条件に関する注記
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DOI
既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
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