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解説
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明治24 年(1891)、当時の豊野観音堂住職普山良寿和尚が発起人となり、石・赤沼方面や、豊野駅開業間もない当時に、各地から豊野に移り住んだ人々等、41 名と1団体によって建立されたものである。観音菩薩は33 の姿に化身して庶民を救うといわれ、その信仰に基づく33 体の観音像が建てられている。平均的な全高約40cm 前後で安山岩を光背型に刻み、そこへ像本体を浮き彫りしている。観音像は巡礼風の姿で、諸観音の様式等細かい部分の細工は省略されている。作風は素朴で修那羅石仏群(小県郡青木村)のものによく似ている。明治期に至っても当地において観音信仰が盛んであった事とともに、豊野駅開業を契機とした近代の豊野の発展ぶりを物語っている。
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