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解説
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江戸時代の宝永3年(1706)の浅野村差出帳に2間×3間の茅葺き屋根の十王堂があった事が記されており、そこに安置されていたものである。明治6年(1873)、無住のため太政官布告により廃堂となり、十王像等はその後宝蔵院境内へ移された。 閻魔王を筆頭とする地獄の裁判官十王と、奪衣婆(だつえば)の丸彫り石像の合計11体で、裁判に使用する浄玻璃の鏡・業の天秤・人頭杖等、本来付属するはずの石造物は、現在は失われている。平均の像高約40cm前後で素朴な作風であるが、形相は凄まじく、一種ユーモラスである。生前に十王を供養し、死後の裁きの軽減を願うという十王信仰は江戸時代民間に広まった。その隆盛を物語っている。
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