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解説
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大倉城の出城という伝承もあるが、戦国時代に当地一帯を領有した島津氏が、永正10年(1513)の乱で決定的な対立関係となった千曲川対岸の高梨氏勢力に備え、千曲川の防御拠点として築いた城と推定される。 千曲川岸の標高355mを最高所とする小丘上にあり、東西20m×南北15mの主郭を中心として、千曲川に面した東側を除く3方に3段の曲輪が階段状にめぐっている。東側のみ急斜面で、直下に古くからの渡し場があった。主郭には江戸時代に字古宮地籍から諏訪社が移転し、文化年間(1804~17)、社殿修復の際に地中から古墳の石室の天井石らしき大石が発見され、内部から木炭状の物が出土したという。
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