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解説
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粟野神社の神宮寺跡。神仏習合の寺である。平安時代後期に開かれたといわれ、江戸時代初期の寛永7年(1630)に長沼に移された。遺物として鏡板共鋳の鋼製御正体2面が残る。いずれも造りは簡素であるが、室町時代初期のものと推定される。 寺跡は、拝殿東南下の中腹にあり、平坦地に合計35個の礎石が整然と並んでいる。礎石は平均径60~70cmで、上面を平に加工し厚み30~40cmの大形のものもある。礎石から推定される建物は、5間四面で南面し、桁行柱間各7尺6寸、梁行柱間の前2間が6尺3寸、奥2間が9尺、更に奥に後世の造り出しとみられる1間がある。各柱は径40~50cmの大円柱と推定される。また礎石群の西南には鐘楼跡と伝えられる方形の基壇が残っている。伽藍配置から、かなりの大寺であった事が窺われる。
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