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解説
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現豊野観音堂の前身として鎌倉時代の弘長2年(1262)に創建されたといわれ、創建に関わって北条時頼回国伝説が伝えられている。それによると、時頼が当地へ立ち寄った際に授けていった千手観音像を本尊として創建したとされている。全盛時には塔中12坊を擁する大寺院であったといわれ、盛衰の後、江戸時代の享保14年(1729)観音堂の地へ移され、寺名は正行寺と改められた。寺跡は字東宇山の中腹にあり、古来大悲閣古跡と呼ばれ、貞享2年(1685)建立の板碑を中心に仮の組み合わせながら周辺から出土した五輪塔120基、宝篋印塔8基、六字名号碑、板碑残欠等が整理されて並んでいる。馬耳型突起が大きな関東型宝篋印塔の笠部残欠2点は、本来の塔の全高が200cmに及ぶ、県内でも稀な大型の宝篋印塔であったと推測される。 また、周辺一帯は中世の太田庄神代郷の中心地と伝承され、伊豆毛神社旧社地(八雲台)と共に、これに関連した史跡である。
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