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解説
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川谷日影地区の東北の傾斜面に位置し、ヤマツツジが全山の大半を占める名勝である。室町時代の応仁年間頃からすでにヤマツツジが群生していたといわれ、明治初年に薪炭材料として伐採された。その後明治7年(1874)から地元有志による整備が始まり、18年(1885)に躑躅山開発同盟が組織され、ヤマツツジが補植されるなど、開発・整備が行われた。明治33年(1900)当時は75,800株のヤマツツジが繁茂していたといわれ、近隣の村々をはじめ北信各地から訪れる花見客で大いに賑わった。現在は約10,000株で、すでに樹齢100年以上を経ている。木が斜上しているのは積雪の影響によるものである。ヤマツツジの群生地としては北信地方随一の規模であるとともに、富士社境内地であることから、ヤマツツジの群生で富士山の山容を形作っており、富士山信仰の珍しい例でもあるという。
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