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解説
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大姥神社は、大洞峠と萩之峯の集落をむすぶ道路の中間に位置する。 昭和48年の飯綱山の土砂崩れは、神社の上部で宮沢・奈良出沢の2方向に流出し、神社は被害を受けなかった。 大姥神社は、大姥神を祀り、戦前は27人の共有の社であり、カンの虫切に霊験あらたかで村内や隣村からも大勢の参拝者があったといわれる。戦後は和田・小橋の一部から大洞峠に至る集落全体で祀るようになった。境内の1段下の田では以前には奉納相撲が催され、また、神楽は上平金刀比羅社まで練り歩く習わしとなっている。 本殿は覆屋の中にある小規模な宮殿で、現在の覆屋は昭和55年に再建されたものである。本殿の建築年代は不明であるが、明治の再建と伝えられ、神鏡には明治13年の墨書があるので、そのころの建築と推定される。
※ 虫倉山は古くから山姥のすみかと考えられていた。虫倉連峰には「七大姥」と称して、中条地区の虫倉神社などで7社の大姥大明神があった。 子供の神とされ、近郷の幼児は必ずお詣りをして虫切鎌の御守を受け、成長を祈る習しとなっている。
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