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解説
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松代町代官町は、元和8年(1622)に真田信之が上田から移封される前は山田町といわれ、わずかな人家と田畑が広がる集落であった。真田家が沼田真田家の家臣を召抱えることとなった明暦(1655~57)の頃から新たに開かれた武家町である。当初、代官職の武士を住まわせたことから「代官町(だいかんちょう)」と呼ばれたといわれ、中級の武家屋敷が並んでいた町である。 長谷川家住宅は、藩政末期に「御金奉行払方」を務めた長谷川直太郎の屋敷で、江戸時代初期に沼田より松代へ移ってからずっと長谷川家が居住していた。 長谷川家住宅主屋は大きく分けて3つの棟からなり、中央棟部は桁行6間、梁間3間、南北に下屋を出した木造平屋建、寄棟造、桟瓦葺。式台・床の間付きの座敷・次の間・仏間・入側・縁などからなる。通りに面した東棟部は桁行3間半、梁間3間、南面・西面に3尺の下屋を出し北西の一部で中央部に接している。木造平屋建、寄棟造、桟瓦葺。式台・床の間付き座敷・勝手・風呂場からなる。西棟部は桁行3間、梁間3間、四周に3尺から4尺の下屋を回している。木造平屋建、東は寄棟造・西は切妻造、トタン板葺き。床の間付き座敷・奥の間・洗面所・便所等からなり離れ座敷的な性格を帯びていて、隠居所として使われたという。建築年代を示す資料を欠いているが、代官町は明治5年の「長国寺火災」に被災しており、長谷川家も被災したという。当家に伝わる話や有識者の談によると、中央棟部は真田藩主の館・花の丸御殿を移築したものであるという。また、西棟部は明治期に増築されたものという。
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