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解説
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久米路峡はおよそ420万年前、新生代第3紀鮮新世に活動した聖山火山の噴出物と考えられる安山岩角礫からなる凝灰角礫岩でできている。この岩石は、周囲の地層より硬く、隆起にともなう犀川の浸食の障害となり、峡谷となったものである。ここは犀川水系中流域で最も狭く、古来より何回か橋が架け替えられてきた。架橋の記録として現存する最古のものは、慶長16年(1611)の水内橋勧進帳であるが、この中もこれ以前に橋が架けられていたことが伝えられている。名勝名橋として文人墨客が訪れ、古くは「信濃地名考」「信濃奇勝録」等多くの書籍に記載されている。 明治32年(1899)浅井洌もここを訪れ、県歌「信濃の国」に「心してゆけ久米路橋」と歌いこんでいる。 水内発電所のダムの湛水のため、昔日の面影は薄れたが、両岸の切り立った岸壁に往時を偲ぶことができる。
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