文化財名
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旧作新学校本館
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文化財名(かな)
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きゅうさくしんがっこうほんかん
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欧文タイトル
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資料名に関する注記
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差出 作者
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受取
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製作者
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年代
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1883年(明治16年)
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年代終
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員数
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1棟(1階面積168.92㎡、2階面積158.99㎡。計面積327.91㎡)
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形態
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寸法(図録用)
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大きさ(縦)
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大きさ(横)
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大きさ(高さ)
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材質
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形態に関する注記
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保存状況
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収録時間
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縮尺
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その他の注記
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言語
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ISBN
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ISSN
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テーマ
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地区別
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更北
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関連する人物・団体
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検索用時代区分_文化財
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明治時代
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検索用時代区分_文化財コード
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検索用時代区分_文化財終
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検索用時代区分_文化財終コード
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内容細目
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解説
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長野市にある明治初期の学校建築では明治8年(1875)建築の旧長野県師範学校教師館(県宝)がもっとも古く、この作新学校(現在の下氷鉋小学校)本館はそれに次ぐものである。 明治6年(1873)の開校で、本館は同16年(1883)12月7日に上棟式が行われた。大工の氏名はわからないが、横浜で西洋建築を学んだ人だと言われている。用材は長野市信更町の田野口から伐採された。 間口8間、奥行6間の木造総2階建、瓦葺、寄棟造とする。四方の窓を漆喰塗りとし、西洋窓をつけ、また正面中央に和風の玄関を有する擬洋風建造物である。 昭和31年に民間工場に譲渡され、下氷鉋小学校の校庭の西南に移されたが、同48年に校内に移築、作新記念館となった。 その際、内部の柱や間取りなどは当初のものに復元されている。
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解説(英語)
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来歴
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来歴(英語)
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所在
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長野市稲里町下氷鉋
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文化財番号
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162
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管理記号
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カテゴリ区分
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無し
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文化財種別
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建造物
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大分類
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指定等文化財
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中分類
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小分類
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文化財情報
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市指定/市指定有形文化財/昭和 56年8月17日/1981/8/17
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上位階層目録ID
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関連目録ID
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manifest.jsonへのURL
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参照データ
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長野市行政地図情報
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https://www2.wagmap.jp/nagano/Map?mid=24&fid=316-48&mps=5000
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関連画像URL
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自治体史掲載
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出版物・関連資料
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翻訳の言語
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権利関係・二次利用条件
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独自規定あり
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原資料の利用条件
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権利関係・利用条件に関する注記
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緯度・経度・高度に関する注記
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汎用フィールド01
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キーワード
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備考
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汎用フィールド09
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DOI
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既刊目録名
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デジタル化の経緯に関する注記
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