明治一〇年(一八七七)七月の開局。逓信博物館所蔵の郵便路線図には、同一五年までその名がみえるが同一六年には消えているので一五年ごろ廃止とされたものと思われる。
局長は、一四年駅逓局版「郵便取扱役(局長のとと)姓名録」によると、関源九郎という人で、二〇年七月まで六地蔵四一番地に住居があったというから、局舎もここにあったと思われる。その住所は奇しくも現長柄局(無集配)の筋向いで、現在は、山口山三郎さんの住居になっている。関家は、源九郎―忠治郎―儀十郎―善一―義仲と続き義仲氏は、現在六地蔵四二番地の三(現長柄局の隣)に住んでいる。義仲氏次男武氏の話によれば、先年家を新築した際、ツヅラに郵便関係と覚しき書類があったが、不用物と思い焼却してしまったという。これで六地蔵局の位置は明かとなったものの、関係文書の焼失で局の内容が明かにできないのは、かえすがえすも残念である。