明治一三年六月開局、同一八年六月廃止された。長柄山より長南まで三里余(約一五キロ)の途中に一局をおく必要から設置されたもので、局舎は現在の与川商店(鴇谷七四一番地)にあり、局長は与川久作氏であった。その四代(久作―伝蔵―惣治郎―貫之)後裔である与川亨氏に伺うと、「つい最近まで土蔵の一隅に鴇谷局の標札やスタンプなどが保存されていたが、今捜しても見当りません」とのこと、誠に残念である。
しかし、最近、明治一五月一月一五日付、長柄上埴生郡役所から刑部内藤三郎平(当時郡会議員)宛の書状で、茂原局、鴇谷局のスタンプ捺した封書が内藤泰雄家から発見されたことは幸であった。当局の郵便区は、広い範囲に亘っていたが、その詳細は次項で述べることにする。