安全に確実に

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現在、私達は、出した信書や小包が相手に届かないことを心配する人はいない。全く安全に確実に届くようになっている。ところが、明治初期、警察制度の整っていない時代には、東海道のような公道ですら、しばしば盗賊が出歿し、郵便物を失ったばかりでなく、脚夫の殺傷されることも少くなかったという。(6)そこで、明治六年末(一八七三)貨幣郵便の郵便脚夫には、常に六連発のピストルを携帯させた。それでも、郵便馬車では、どうしても、これを回避することはできない。結局、郵便為替制度(明治八年)や小包郵便法明治二五年の公布制度の改正と、鉄道の普及による郵便行嚢の安全な逓送をまつ外はなかったのである。房総の鉄道をみると、一宮までは明治三〇年(一八九七)四月に開通を見、以後大正時代までにほぼ全県下に布設され、その恩恵をうけている。
 郵便の安全を期するには、今一つ、郵便ポストの問題がある。明治初期の郵便箱は、高さ約三尺の緑色にぬった方角形の木箱であったようである。そのため、明治一三年(一八八〇)の大阪大火や、翌一四年、神田の大火で多数の郵便箱を焼失した。そこで、これを鉄製に改める計画をしたが費用の点で実施できず、磁器製のものを試作したこともあった。
 現在は、何れも金属製となり、大型の一号丸型、角型や小型の二号掛箱が多く別表の一六個所に設置されるようになり、極めて便利になった。
 
郵便差出箱設置箇所
年月日氏 名住   所種 別
明治38.12.14与川藤枝鴇 谷  1412号掛箱
昭和26. 2. 1山田良蔵長 富   77
  30. 4.13三橋正行徳 増  632
  36.11.30篠田義治大津倉  198
  39.12. 1長生農協
長柄事業所
長 富   78~6
  35. 4.30佐々木道子千代丸  108~1
  45. 5.12渋谷哲郎高 山  596
大正 5. 2. 1山崎啓爾味 庄   3
昭和29.12. 8岩崎正子長柄山  842
  31. 7.31平川貞子山之郷  482
  32. 6.30近藤与士夫長柄山  270
  35. 6.30成島四郎治山之郷  200
  37.12.12大和久中武山 根 1,843
  48. 1.10荒井清蔵皿 木   91
  48. 7.16木村利一大 庭  632
  54. 1.27神崎広志針ケ谷  968~1
  31. 4. 1水上郵便局刑 部  742一号丸型
  47. 7.19長柄郵便局六地蔵   33一号角型
(昭55和3年月 現在)