明治の初め、駅逓権正(ごんのかみ)となった前島密が、東京と京都を往復した公文書などの運送費、即ち飛脚屋へ支払うべき金額を調べたところ、月額およそ一千五百両、年間一万八千両にも上ることがわかった。(9)このように飛脚賃が高くては、一般人にはとても利用できるものではない。そこで考え出されたのが、「新式郵便」の制度である。「新式郵便」というのは、既に、アメリカ等で実施されている「ポスト制度」のことで、書状の表に、国家が発行した賃銭切手をはり、一定の箱(ポスト)に入れさえすれば、国家の手で、宛名の所まで間違いなく届けてくれる仕組のことである。
この制度を取入れようとした前島密は、東京―京都間の料金を次のように概算した。即ち飛脚をリレーして走らせれば、およそ三日で達する。その人件費は雑費を入れても一回三〇円(当時の運賃で三百貫)には達しない。
一日三百通を送るとすれば、一通およそ九五銭となる。このことから、更に数をまし、東京―京都間往復をすると考えると、一通一四銭位にしても十分採算がとれるだろうと考え、新式郵便にふみ切ったと言う。上の表は、新式郵便による、封書とはがきの郵便料金の変遷を示したものである。最初は、距離制を採用したが、次第に書状の数も増してきたので、全国均一制に切りかえられ今日に至っている。なお、郵便料金は、初め「郵便賃銭」といい、明治元年四月、「郵便税」と改称、これは、長い間続いた。なお、内藤三郎平宛(前掲)封書に「税済」とあるものは、後の約束郵便、「料金別納」に相当するものである。
主な郵便料金の変遷(郵政100年のあゆみ,郵政省による) |
年 代 | 封 書 | はがき | 備 考 |
明治 4. 3. 1 | 最低百文,最高1貫5百文 (例) 東京から神奈川百文 〃 大阪1貫5百文 | (1)最初料金は距離別による (2)4年5月新貨条令で両・貫・文を円・銭・厘とする。百文は1銭1貫は10銭となる。 (3)5年末に太陽暦採用,50・12・3が6・1・1となる。 | |
〃 6. 4. 1 | 2匁までごとに 2銭 | 全国均一料金制となる。当時米1升(1.5kg)4銭,現在約4百円 | |
〃 6.12. 1 | 1銭 | はがき発行さる。はじめ薄紙2つ折であったが,8年5月厚紙単片となる。 | |
〃 32. 4. 1 | 4匁までごとに 3銭 | 1銭5厘 | |
昭和 12. 4. 1 | 20グラムまでごとに 4銭 | 2銭 | |
22. 4. 1 | 〃 1円20銭 | 50銭 | |
23. 7.10 | 〃 5円 | 2円 | |
26.11. 1 | 10円 | 5円 | |
47. 2. 1 | 25グラムまでは 20円 | 10円 | |
51. 1.25 | 〃 50円 | 20円 | |
56. 1.20 | 60円 | 30円 |
さて、この表をみれば、飛脚時代とくらべて、如何に安価であるかが知れよう。このため、郵便の数は、日を追って盛んとなり、日清・日露の両役後はまた一段と盛んとなり、各方面の施設も整った。
次に、水上局の発展の姿に目を転じてみよう。