明治三五年 | 四六九五〇通 | 一日平均一二九通 |
同 三六年 | 四四五三七〃 | 〃 一二二〃 |
同 三七年 | 五八一八八〃 | 〃 一五八〃 |
局舎は、昭和一二年(一九三七)一三坪(約四三m2)に増改築したが、狭くなったので、昭和四二年二月二三日、敷地二五〇・四九m2に建坪一五〇・三八m2の木造一部モルタル塗、鉄板葺平屋を建築、局舎とした。昭和一二年に、電信、電話が開通、同一七年三月二六日交換が出来るようになる。
水上郵便局
旧水上郵便局舎・右側に現在局舎あり。
転々と散在している各家をまわるのであるから、局から離れた所では、郵便は夕方に来るものと考えられていたほどで、毎日晴雨にかかわらず歩き続けるのであるから、健康でなければ配達はつとまらなかった。このように足だけに頼っていた集配も、昭和一三年から漸く自転車三台が配備され、更に昭和三九年(一九六三)一一月二四日からオートバイに代り、現在、自転車二、オートバイ一三台が配置されるようになった。昭和四四年(一九六八)六月二日より、集配区域が全町に広がり、局員も一六名になった。しかし、一日の配達数をみると、明治三五、六年頃の一〇倍近くにも増し、集配区画を五区制(月曜のみ六区制)にしたが、一区画の配達延長は約七〇粁にもなるので、やはり大変な仕事である。集配区を示すと上のようになっている。
水上郵便局郵便区(昭44.6.2日より) |
地域(火~土) | 地域(月曜のみ) | |
市内 | 辺田,三沢,月川,針ケ谷,立鳥。 | 辺田,三沢,月川。 |
市外 一区 | 刑部(市内を除く),金谷,高山,大庭,大津倉,田代。 | 同左立島 |
〃 二区 | 鴇谷,長富,桜谷,徳増,榎本,小榎本 | 同左(但し桜谷を除く) |
〃 三区 | 上野,中之台,千代丸,力丸・山根,飯尾,別所・大加場,国府里,味庄,船木,八反目。 | 桜谷,千代丸,力丸,山根,国府里 味庄,飯尾,別所,大加場,八反目 |
〃 四区 | 入地宮前,西山,山之郷,道脇寺,六地蔵,長柄山,追分,皿木。 | 針ヶ谷,長柄山,皿木,六地蔵,道脇寺,追分,西山,入地宮前 |
〃 五区 | なし | 上野,中之台,山之郷,舟木 |
なお、前頁に、一日の配達数(各年五月の平均)と五三年度の年賀状郵便の状況を掲げておく。
一日の郵便配達数(5月) |
普通郵便 | 書留郵便 | 小 包 | |
明治35年 | 129 | 1.01 | 1.39 |
〃 36年 | 122 | 0.75 | 1.47 |
〃 37年 | 158 | 0.93 | 1.67 |
昭和51年 | 982 | 22 | 11 |
〃 52年 | 908 | 28 | 12 |
〃 53年 | 1,129 | 23 | 7 |
③年賀郵便物数 53(年度中) | ||||||
区 別 | 引受 (12.15 ~1.10) | 到着 (12.15 ~1.10) | 差立 (12.15 ~1.10) | 配達 (1.1 ~1.10) | ||
取 扱 状 況 | 官 製 | 60千通 | ||||
私 製 | 1 | |||||
計 | 61 | 74千通 | 41千通 | 94千通 | ||
参 考 | 52年度計 | 58 | 85 | 42 | 101 | |
51年度計 | 55 | 71 | 38 | 93 |
区 別 | 配分枚数 | 窓口売り さばき枚 数 | 売りさば き所 売 渡し枚数 | 売れ残り 枚数 | 完売月日 | ||
売り さば き状 況 (自局 分) | 21円 | 8千枚 | 2千枚 | 6千枚 | 千枚 | 11月 7日 | |
20円 | 40 | 24 | 16 | 11月16日 | |||
計 | 48 | 26 | 22 | ||||
参 考 | 52年度計 | 42 | 18 | 24 | 21円11月 7日 20円12月12日 | ||
51年度計 | 36 | 14 | 22 | 21円11月 5日 20円11月 5日 |
歴代局長は次の通りである。
初代 村上光之助 明治三五・六・一六就任
二代 斉藤祐義 昭和一四・一一・三〃
三代 村上忠義 同 一七・三・二一〃
二代 斉藤祐義 昭和一四・一一・三〃
三代 村上忠義 同 一七・三・二一〃