長柄山局

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六地蔵局が存在しながら更に当局(追分地区)を設置した理由は、その地が、潤井戸から長南と茂原への分岐点として交通の要所であったからで、当局の開設によって六地蔵局区内の一部がその管下に移されたことはいうまでもない。しかし、既述の如く、明治一五年に六地蔵局が廃止され、同一八年には味庄、鴇谷の両局が廃止されたので、両局の郵便区をみた上で更に検討を加えよう。