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 こうして、六地蔵、味庄、鴇谷の三局廃止後における長柄山局(追分、六地蔵)の郵便区は、旧長柄村全域と、旧水上村、旧日吉村の一部がその区域となった。これこそ、長柄地区に初めて登場した六地蔵局初期(長柄山局設置前)と、同局廃止後これを継承した長柄山局初期の姿を彷彿させるが、それは帰納的想像に過ぎず、文献上の確認はない。
 さて、その後は長く郵便区の移動がなかったが、長柄山局の流れを汲む刑部局が水上局と改称後の昭和五年(一九三〇)三月、隣村二宮本郷の原田局(大正一〇年五月二日無集配局として発促)が集配事務開始に当たり、旧長柄村の一部(下郷地区)が同局の区内となり、四四年六月同局の無集配回帰によって旧に復した。
 ここで付言すべきことがある。
 まず、鴇谷局の廃止によって、長南局と茂原局に移った徳増、榎本、小榎本は、明治二二年の市町村により、旧日吉村に属したので長柄山局区内となり、岩川は豊栄の一部として茂原より長南局区内に移り、棚毛も長南町で現長南局区内である。
 次ぎに笠森観音で著名な笠森や深沢地区は、鴇谷廃局によって長南局区内になったものの明治二二年水上村に入ったので当然長柄山局区内になった。しかし、昭和三〇年四月長柄町合併の際長南町に帰属したので、再び長南局区内となった。
 
  郵便局の調査に当っては、二宮郵便局、茂原郵便局の御協力をいただいた。特に二宮郵便局長及川定夫氏には再三にわたって資料の提供をいただいた。以上を一覧表にすると前掲のように表わせよう。
 

長柄町における郵便区変遷表