覚心譲状写

覚心譲状写[目録]


<翻 刻>
 
管理番号 四三
遠山家文書史料番号 五
 
 ゆ川里わ多す所里やうむまこ
 かとういや二良かけふさ可ところ
  ミのゝく尓 と越山のしやうのうち 多う
  け乃かう このうち 覚心可 志ひちのゆ川
  里越 もち多らん物を 能そく堂ゝし
  又ミちハを かけふさ尓ゆ川るところあ里
右かのかうハ覚心可所里やう也このうち山より
きた於くと越山にし布ちハ覚心可志んふ
上ゑんの時中世ち世しむるところ尓むまこ
ひこ六志けともこんとうち志尓の於んしやう尓
く多し候ところ也又山よりミなミあけちの於く
か志可多ハ覚心さうそくちきやう(知行)の地なり
このうちくしハら ならたニ於く と越山上下村ハ
新かとうニ入道へこのゝちハいや二郎かけふさ尓
ゆ川るところ也かのかけふさちやくそん多
るうゑニ於さなくよりやういく世志めて ふたんニ
有るあい多 ちやくし尓多てゝかとくさうし
ようして右大志やうけの御く多しふミ
とくのあんとの御く多しふミて川きら
こんとの御く多しふミことくくあい
そへてかけふさ尓ゆ川りあたうると
ころ也 ま多人このさま多けあるへ
からす御くらし尓於いてハ 田数ニまか
世 ふんけんニ志多りて者いかりし
さ多をい多すへし よてきけいの
ために、ゑいたいゆつり状如件
        りやくおう三年二月十日
                 覚心(花押)