<翻 刻>
管理番号 二
遠山家文書番号一五
遠山家由緒につき
2 画像(翻刻付)
覚
遠山藤原氏
一遠山左衛門尉岩村乃城主同弟左近佐苗木之
城主左近佐已後頼申ひわうしかうん罷在候
右衛門佐友勝
一ひわうし久兵衛美濃いゝはさまの城ニ罷在法□
かうんと申候右いゝはさまの城せかれ久兵衛友信ニ渡
かうんハ同国苗木ノ城ニ罷在候右之二代めの
久兵衛惣領右衛門佐ニいゝはさまノ城ヲ渡
右衛門弟之三郎兵衛殿ニ久兵衛友信ハ木曽信濃
おさへとして同国あてらの城ニ信長公より
おかせられ候甲州衆あてらの城セめ申候得共
友信
健(ママ)固ニ持詰申候二代めの久兵衛年寄而惣領三郎兵衛と申候
右衛門佐弟三代め三郎兵衛ヲ久兵衛と申候ひわうし
より三代久兵衛と申候
一信長公落居已後太閤御代ニ罷成其節森
武蔵守はた下(もと)ニ付申様ニと太閤より被 仰付候ても
久兵衛違背仕 友信三郎兵衛友政父子共丹 権現様はま枩(松)ニ被為成御座候
時御奉公ニ罷出并駿河へ被成為御座候時迄御奉公
仕候其以後小田原落居仕候て候後久兵衛ヲ榊原
式部少大輔へ被成御付館林ニ罷在候処ニ石田景勝治部少
御むほん被仕候付 権現様小山迄御出陣被遊候
処ニ石田治部少輔も御むほん仕木曽筋ハ石川(河)備前
代官仕東美濃苗木ノ城ニ関次兵衛罷在岩村之
城ニ田丸中守罷在治部少輔と申合候故 権現様
木曽筋并東美濃一大事ニ被思召小山ニ而
久兵衛被 召出様子被為成御尋候処則ニ久兵衛義ニと
御請申上候処 権現様より御満足ニ被思召則御鉄炮(砲)
外々拝領仕
三十町玉薬并黄金被下右木曽路苗木之城
岩村之城被 仰付其同心衆山村甚兵衛千村平右衛門
馬場半左衛門小笠原靫負被仰付木曽路へ打
むかひ申候所々のおさへ追はらひ東美濃へ
罷出中津川駒場処々やきはらひ苗木之城久兵衛
一身ニ而請取岩村之城へ取詰無相違請取
申候為御褒美鱗殿苗木城は先領其侭拝領仕候
一台徳院様真田ノ城被 仰付被為成御座候処ニ急ニ
御落被遊候様ニと 権現様御意ニ付急ニ御落被遊候
其節顔固故木曽筋美濃路道中在々迄
こと/\く小やあき仕居申候処ニ久兵衛右之
宿々所々ニ札ヲ立小やおり申付道中御
兵らう大豆くつ已下迄上申
奉公申上有之通 台徳院様日夜御急ニ付御馬草外
候故ニ
美濃大井ニ而久兵衛馬進上仕大坂迄めさせられ候
右同所ニ而御餅も上申候