匏斎友寿 家政年中日記抜書

匏斎友寿 家政年中日記抜書 [目録]


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<翻 刻>
 
管理番号 三
 
 遠山家文書番号六六 (遠山賀寿子家文書)
 
    家政年中日記抜書  (自安永九~至天明六) 一冊
 
1     画像(翻刻付)

 
    匏斎
      友寿
 
  安永九庚子より丑寅卯辰
  巳天明六丙午迄七ヶ年
  之抜書
 
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 友福公御日記抜書
 安永九庚子歳
   正月元日
一殿様年始為御祝義部屋へ被為入候
 御喰積御煎茶御多葉粉盆上ル
 ヒレノ御吸物御取肴巻鯣一種長柄
 加への御銚子ニ而御盃致頂戴御帰
 後御礼参上
 表御広間にても同様有之
 奥にても同断とアリ栄寿院殿御
 部屋江御喰積茶多葉粉盆計
 トアリ
 是盤(は)年々不相替認め有之
 
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    正月廿六日
一夕方殿様御招請申上御煎茶
 御多葉粉一汁三菜吸物酒肴
 二種[硯蓋坪皿]御酒上ル
 御土産として御肴一篭拝領肴
 被申付候
   二月九日
一初灸致し吸物肴一種豆入
 医師居人へ肴一種
   二月十七日
一新庄駿河守殿御出養子之願書
 差上候砌御頼ニ付虎五郎へ御逢被
 成度旨被仰下候依之虎五郎服
 
 
 紗小袖麻上下着用於御居間御役
 人共罷出候后殿様御取合ニ而逢候
 塗盃吸物肴二種[小皿付猪口付]暖酒出引
 続御仕度被進候御膳中一度及
 挨拶候九ツ半時頃御帰被成候式臺迄御
 送り有之御供仕候
   二月十八日
一養子願書板倉佐渡守殿へ新庄
 駿河守殿被差上候
   同廿一日
一今日御養子御願済也
 略之
 
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   二月廿八日
一殿様只今迄月並部屋へ被為入候
 處以来ハ御先格ニ付不被為入候旨
 近習坊主無
   三月六日
一御先手長谷川太郎兵衛殿土方宇源太殿
 御頼ニ付御扣星野久勢来ル
   三月七日
一田沼主殿頭殿へ始而御逢同道長谷
 川太郎兵衛殿也松平右京大夫殿登
 城前へも被為入候
  田沼殿御対客夫より亀井殿へ暫
  立寄りあり登城前御勤め之
  趣なり
 
 
   三月九日
一松平周防守殿登城前同道土方殿也
   同十一日
一阿部豊後守殿板倉佐渡守殿登城
 前同道長谷川殿也
  同十三日
一水野出羽守殿同断同道土方宇源
 太殿也
   同十九日
一御目見御願書今朝長谷川太郎兵衛殿
 を以被差出候
一今日同席招請有之
           同断
  松平近江守殿 堀丹波守殿
[御同道之扣]谷播磨守殿 片桐石見守殿
         早御帰り
 
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  九鬼中務殿  織田大学殿
         早御帰り
 佐竹栄之助殿
 勝手へ
    同断
  京極甲斐守殿 新庄駿河守殿
 坊主      絵師
  関林雹     笹山養意
  水谷済珍
 料理二汁七菜[臺引吸物]中皿
 二段くわし
 椀盛くわし 名酒  吸物三
 軽臺中皿  硯蓋二 茶碗猪口
後段
 そは 吸物 肴二
 
 
   三月廿七日
一同席御招請
  伊東大和守殿  島津但馬守殿
  九鬼長門守殿  溝口伯耆守殿
           早帰り也
  上杉駿河守殿同断
 勝手へ
  前田大和守殿
 御城坊主     絵師
   関林雹    笹山養意
   水谷済珍
   星野久勢
 料理其外前ニ同
   四月朔日
一御目見御同道京極甲斐守殿也
 御扣谷播磨守殿也
 
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   十二月廿二日
一山内式部殿より以使者今般本家
 土佐守殿御願通り柳之間席被仰
 承難有思召候以来同席之儀候得ハ
 万端心易被仰合候様御頼思召候右頼
 吹聴被成候別段右ニ付而七里惣
 兵衛与申者留守居役被申付候間家
 来中御無腹蔵申談候様被仰付被下候様
 申越候
 ○寅ノ三月朔日月次始而御登城
  島津文之進殿と御一所ニ始ル
天明二壬寅年
   二月廿二日
 
 
一御用番久世大和守殿へ月次五節
 句御願書長谷川太郎兵衛殿ヲ以被差出候
   同廿五日
一京極甲斐守殿織田大学殿御招請
 大学殿ハ御断り也
取持町医足立梅栄[絵師永徳弟子]狩野永翁
 二汁七菜料理薹引吸物酒肴一種
 二段くわし濃薄茶椀盛くわし
 名酒吸物ニ肴[硯ふた茶碗]中皿猪口
 後段そは切 吸物肴猪口壺皿
   同廿六日
一関林雹星野久勢水谷済珍佐藤永勢
 相伴
   三月朔日
一月次初而御登城御同道京極殿也
 
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   七月十七日
一妾召抱
   八月十一日
一二俣真解より蟇目并九字護身
 法申上
   同十三日
一同人へ御愛拶銀一枚料紙三十帖被干鯛
 一折直書使長田隼太
   同十四日
一お悦殿水痘被相煩候由
 天明四甲辰
   閏正月六日
 
 
一殿様御直々御沙汰御座候者自分乗り行
 篭有之候ニ付去冬諸向叙爵之時分
 河野仙寿院殿へ自分病気ニ付
 上意有之候由御意御座候直ニ御礼申上ル
  同日ニ仙寿院殿此方へ被参候段も
  有之其節之侭と相見申候
 ○山崎幾多弓
   三月十日
一尾張殿御着ニ付 殿様為御待請
 九ツ時御供揃ニ而被為入候夜六ツ時被遊
 御帰候
 
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   五月三日
一石田伴右衛門九ツ時より入来軍学
 御門入也
   六月廿九日
一お悦殿鉄漿初有之
天明五乙巳年
   三月四日
一松平薩摩守殿へ今日 御転任
 済御老中 招請ニ付為御取持
 御出有之候ニ付鮮鯛一折使者福
 田忠蔵 白木薹也
 
 
一四ツ時共揃ニ而松平薩摩守殿へ
 致伺候候西ノ門より内玄関へ通ル
 同席衆其外客付外ニ印有之故
 略之料理其外饗応出ル
 御老中方御出之時分玄関上ノ間
 二ノ間へ大広間ヲ始勝手へ致伺公
 候面々不残出迎帰之節も右同断也
 但料理出候前ニ薩摩守殿被出逢候
御老中    若年寄
 水野出羽守殿  安藤対馬守殿
西丸若年寄
 井伊兵部少輔殿
同席今日参り候名前左之通他席ハ略之
 秋月佐渡守殿  相良壱岐守殿
 織田左近将監殿 織田筑前守殿
 
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  稲葉能登守殿   九鬼中務殿
  秋月山城守殿   和泉守様
 老中御帰後於大書院薩摩守殿被出
 愛拶有之其後吸物御酒出ル御
 肴島津淡路守殿御引被成候御役
 人衆帰後能二番也[番組別ニ記有之]相済
 而礼合表玄関より帰ル淡路守殿式部少
 輔殿其外御先手衆抔式臺迄被
 送候也 今日之着服のしめ上下也
   三月四日
一松平薩摩守殿へ 御転任為
 御祝義能興行ニ付御招
 
 
一同所以使者鮮鯛一折塗木薹
 中原仲勤
一五ツ時過より御出也色々御饗応有之
 能興行致見物候
 相良壱岐守殿  鍋嶋甲斐守殿
 織田左近将監殿 同 筑前守殿
 山内摂津守殿  和泉守様
 其外大広間四品以上之衆も有之
   十一月十八日
一松平速之助殿へ招請有之
   肴一折進上之
        可随候
 
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天明六丙午年
   八月十五日
 相良壱岐守殿より以手紙今日登城
 之所水野出羽守殿被相達候ハ
 公方様少々御風気被成御座候ニ付而
 御月代不被為遊候依之表 出御無之
 大納言様御名代被遊 出御候尤御
 機嫌伺ひ等ニ不及旨御達有之段申
 来候
   九月朔日
一松之御廊下ニて松平周防守殿口達
 同断 出御無之御機嫌伺ひニ不及旨也
 
 
   九月五日
一夜ニ入四ツ時過内々御触来ル
 公方様御風気御同様御勝不被遊
 方ニ付伺御機嫌溜詰国持大名
 并庶流御普代衆外様大名高
 家雁之間詰同嫡子御奏者番
 同嫡子菊之間縁類詰交替寄合
 表高家諸番頭諸物頭布衣
 以上之御役人明六日四ツ時出仕可有
 之候
一病気幼少之面々ハ掃部頭月番之
 老中宅へ使者可差出候
一在国在邑之面々ハ掃部頭月番之
 老中へ飛札可被差越候
 右松平周防守殿御達
 
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   九月六日
一五ツ時御供揃登城於大廊下
 国持衆一同謁老中
   九月八日
一昨七日夜ニ入伺御機嫌惣出仕同
 席触来ル
一五ツ時供揃登城
 大目付岩本内膳正殿被申聞候ハ
 今日御機嫌伺ニハ不及後刻
 御老中御達シ有之尤三度
 程も達シ有之候ニ付退出沙汰
 有之迄見合可申との義也
 於大廊下国持衆并同席江御
 
 
 老中方出坐周防守殿口達
 公方様御養生不被為叶巳ノ下刻
 被遊薨御候段御達シ有之
 内膳正殿口達ニ而今日出仕之面々
 居残   大納言様ヘ伺御機
 嫌可申上旨達シ有之
 夫より御老中方一統御出坐伺御機
 嫌謁之其後御老中方一同御出坐
 周防守殿御口達
 大納言様今日直々御本丸へ可為引移
 之事ニハ其御義御差いそぎの義候間
 両御丸共とくと御片付迄様々西之
 丸へも被為入候筈ニ候心得之為相達候
 右之通り也八ツ時退出致候
 
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一今夕より御精進也
一夜ニ入大目付回状来ル書付六通
 公方様御不例不被為叶御養生
 今巳ノ下刻薨御被遊候此段本日
 出仕無之面々へ可被相達候
   九月八日
 公方様薨御ニ付今日より普請鳴
 物停止ニ付右之通可被相触候
   月 日
 公方様薨御ニ付万石以上以下其外
 軽き者共并陪臣迄月代剃
 候日限之義ハ追而可相触候間此段
 向々へ可被相達候
   月 日
 
 
 大納言様今日直々御本丸へ御引
 移之事ニハ其義御差急之義ニ候間
 両御丸共とくと御片付迄ハ様々
 西丸へも被為入候筈ニ候此段為心得
 今日出仕無之面々へ可被相達候
   月 日
 公方様薨御ニ付
 大納言様へ為伺御機嫌病気并
 幼少之面々ハ掃部頭老中丹波
 守へ使者可被差出候
一在国在邑之面々ハ掃部頭老中丹
 波守へ使礼可被差越候
 右之通可被相触候
   月 日
 
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 九月
  九日惣出仕十日同十一日[万石以上之面々]
 右之通
 大納言様江為伺御機嫌出仕候様
 可被相触候
   月 日
 尚以御書付之通明日出仕ニ付衣服花色
 小袖不及着服紗小袖麻上下着服
 四ツ時出仕之事ニ候
右之通相成候
   九月九日
一五ツ時供揃ニ而登城於大廊下
 国持衆と一同謁老中
 夫より於同所老中出坐周防守殿
 
 
 口達
 大納言様御事今日より
 上様与可奉称弥精勤可励旨
 被仰渡候九ツ半頃退出
   九月十日十一日
 惣出仕右ニ同し
  御不快ゆへ御断
 掃部頭殿と周防守殿へ
 使者    留守居河内左中
  十一日夜入大目付廻状
 周防守殿書付被相渡候
  大目付へ
  十二日 万石以下
 
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  十三日 溜詰御普代
  十四日 外様万石以上
  十五日 溜詰諸番頭諸物頭
  十六日 国持并庶流四品以上
 右之通為伺御機嫌出仕候様可
 被相触候
 外ニ二ヶ条被仰渡有之
 御中陰中献上物并例年此
 節献上物御精進物ハ無構
 差上候様
   九月十四日
一惣出仕 御不参使者勤前ニ同
一周防守殿御渡大目付山田肥
 
 
 後守殿触出し
  御直参之面々御勤七日過髭
  剃可申候一倍臣ハ御勤七日過
  月代剃可申候但御目見仕候
  陪臣も同断
 右之通可被相触候
   九月十六日
一安田伝兵衛以小町門蔵初而御目見
 披露幸纈善左衛門
    御中陰中ニ付手のし不遣候
    献上物無之
   九月十七日
 十五日之ふれ出し
一周防守殿御渡し山田肥後守触出し
 
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九月  高家雁之間詰同嫡子
  十七日 御奏者番同嫡子
     菊之間縁類詰
  十八日 溜詰御譜代大名
  十九日 惣出仕
  廿一日 諸番頭諸物頭
     諸役人寄合
  廿二日 外様万石以上
  廿四日 溜詰国持并庶流
     四品以上
 右之通為伺御機嫌出仕可有之
 候様可被相触候
 
 
   九月十九日
一惣出仕御登城於大廊下国持
 衆一同謁老中
   同廿二日
一登城於大廊下謁老中
   廿七日
 周防守殿御渡大屋遠江守殿触
 出し
 普請ハ明後廿八日より御免候間
 其段可被触候
  但御出棺可為済候迄ハ遠慮可致候
一牧野越中守殿御渡し大目付牧野
 大隅守殿触出し
 
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  十月四日
   未ノ下刻  御出棺
   亥ノ上刻  御葬送
 右之通可被得其意向々へ可被達候
  九月廿九日
一周防守殿御渡大屋遠江守殿触
 出し
 先達而相達候日割之内来月
 朔日惣出仕五日溜詰計出仕候様
 相達候得共左之通出仕可有候以上
  九月
 十月
  朔日 溜詰計 五日 惣出仕
 右之通為伺御機嫌出仕有之様
 
 
 可被相触候
  九日晦日
一周防守殿御渡し大屋遠江守殿触
 御部屋様御事 蓮光院様右
 之通御改被遊候諸献上等ハ只今
 迄之通ニ候間此段向々へ可被相達候
一牧野越中守殿御宅へ同席留守居
 呼出し以公用人書付御渡し
  参詣之面々日限覚
 十月
  七日 御三家参詣可被在候事
  八日 宮内卿殿民部卿殿参詣被
     在候事諸大名壱万石以上
     并嫡子可為参詣事
 
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 八日より十六日迄参詣日割有之
 委細ハ不記
 右朝四ツ時より九ツ時迄之内直垂狩衣
 大紋布衣之面々并法印法眼ハ
 其装束無官者のし目長袴
 着用可為参詣候乗牽馬并同
 勢黒門前橋之外ニ残置可申候
             以上
   覚
 下乗下馬所御書付 供人下馬
 より内へ召連候人数割
 御香奠献上之書付都合四通
 いさいハ不記
 
 
  十月五日
一惣出仕謁如前
  十月八日
一上野江参詣五ツ時供揃
 腰無地花色のしめ大紋着用
 於中堂拝札拝席之義ハ小キ
 木札ニ而次第を分ケ畳ミニ打付
 有之尤下乗迄案内之僧出ル
 夫より黒田殿へ立寄九ツ半頃御帰也
 殿様御同道也
一水野出羽守殿御渡大屋遠江
 守殿触出し
 国持衆外様■■万石以上并
 
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 高家寄合小普請面々者明
 後九日より月代剃可申旨申来候
一毎月八日前夜より朝夕精進被
 仰出候
  十月十日
一水野出羽守殿御渡し大屋遠江
 守殿触出し
  十二日[外様万石以上] 十五日[溜詰御普代大名]
  十七日[国持并庶流四品以上] 廿日惣出仕
 此已後出仕ニ不及
 右之通為伺御機嫌出仕可有之様
 可被相触候
 
 
   同十二日
一惣出仕謁如前
  友随公計  御登城
  友福公ハ  御免中也
   同十八日
一出羽守殿御渡し山田肥後守殿触
  明後廿日惣出仕有之様先達而
  相達候得共不及出仕
  十月廿五日惣出仕[此已後出仕ニ不及]
 右之通り為伺御機嫌出仕有之候様
 可被相触候
   同廿二日
一同人御渡し松平対馬守殿触
 
19     画像(翻刻付)

 
 東叡山 御廟所御参詣相
 済候ニ付明廿三日惣出仕之事
 右之通可被相触候
  十月廿三日
一惣出仕ふくさ半上下謁如例
  友随公御断友福公計御出仕
  十月廿五日
一惣出仕  御不参也
 御法号
 浚明院様与奉称候旨織田
 筑前守殿より以手紙申来候
一出羽守殿御渡松平対馬守殿触
 
 
 御中陰明ニ付来ル廿八日惣出仕
 之事 右之通可被触候
 十月廿四日鳴物之義所作仕候者
 共計来廿八日より可差免候
 御中陰明ニ付十万石以上御肴献上
 之書付是ハ不記
  十月廿七日
一公義御中陰今日限ニ付今夜食より
 精進落致候
   同廿八日
一惣出仕 御同道也
 謁如前
 
20     画像(翻刻付)

 
  閏十月朔日
一月次御礼無之旨昨夕御触
 来ル五ツ時供揃八ツ半過帰宅
 大廊下謁如例
  閏十月廿三日
一周防守殿御達岩本内膳正殿
 触
  御代替御礼日限
 十一月朔日 初日 二日 二日め
 四日 三日め
 右三日共ニ五ツ時前右之通ニ候間
 被得其意向々へ可被相達候
 
 
  十一月朔日
一殿様六ツ時御登城御大紋也
一友福公御不参名代ヲ以献上物
 左中勤之
  十二月六日
一周防守殿触御渡し大屋遠江
 守殿触出し
 日光御門跡登山ニ付明五日被致登
 城候御能御饗応被 仰付候間
 最早表向鳴物有之候而も不苦
 候此已後鳴物御免ハ有之間敷候間
 右之趣為心得寄々へ可被相達候
 
21     画像(翻刻付)

 
天明六丙午年
   正月九日
一浜 毘沙門天へ代参近習塚本
 文平
 当正月より十二月迄宿願相調候
 為御礼毎月寅ノ日代参可申
 付事初而代参遣候ニ付御礼一枚御
 洗米迎へ参る
   二月十二日
一水野出羽守殿御渡し松平対馬
 守殿御触出
  前々之通向後二月廿八日月
 
 
  次之御礼有之三月朔日御礼
  無之候間其趣可被相心得候
   三月七日
一奥様川崎大師御出六ツ時供揃
 夜ニ入九ツ半時過御帰り也
   三月十五日
一松平周防守殿御渡し大屋遠江
 守殿触出し
  将軍宣下相済候御祝儀之御礼
 四月
  十五日 十六日 十八日
 右之日限御礼可申上候諸事別紙
 
22     画像(翻刻付)

 
 之通可被相触候
   別書略之
 将軍 宣下御当日より
 公方様と可奉称旨御触三月
 廿八日ニあり
 将軍宣下 四月十五日
 同相済候
  廿一日 初日御礼 廿二日 二日め
  廿三日 三日め
 右之通ニ相成候御触四月十三日
 
 
 右是迄
 安永九庚子より天明六丙午迄
 七ケ年之間之抜書なり
 可秘々々
 文政十丁亥延眺閣下ニ筆
 越とりぬ旹(ときに)二月十四日
 なり
 
23     画像(翻刻付)

 
   雲林寺之覚
   元和八壬戌三月廿五日寂五十三才
雲林寺開山夬雲和尚大禅師
 
   元和五未八月十八日寂
二世中華
 
   寛文四甲辰三月十六日寂七十九才
再住妙心雲林中興開山一秀
 
   寛文九己酉九月廿五日寂七十二才
四世玄外
 
   天和三癸亥七月十七日寂五十三才
五世一桂
 
   元禄九丙子四月十八日寂四十五才
六世浣渓
 
24     画像(翻刻付)

 
   元禄十六癸未十一月十五日寂四十八才
七世泰傳
 
   正徳二壬辰六月十六日寂四十四才
八世桂峯
 
   正徳三癸己二月十三日寂二十八才
九世拙愿
 
   享保二十己卯六月廿一日寂六十一才
十世鐡山  鉄山とも
 
   享保十三戊申ヨリ宝暦十庚辰隠居
十一世獨仙
 
   宝暦十庚辰四月十四日入院明和四丁亥五月廿四日寂
十二世實州
 
   明和四丁亥入院寛政十戊午隠居文化元甲子二月寂
十三世篆禮
 
 
   寛政十戊午入院
十四世六湛