日記之抜書

日記抜書[目録]


 現代訳

 
 
<翻 刻>
 
史料管理番号一四
 
 遠山家文書番号三五五
 
 日記抜書
 
2     画像(翻刻付)

 
   日記之抜書
 嘉永六癸丑年
   七月廿日
一公方様御不例ニ付伺御機嫌惣
 出仕
   七月廿二日
一為伺御機嫌惣出仕之処伺御機嫌ニ
   於大廊下
 不及旨御達無程老中出席伊勢
 守殿より 公方様御不例御養生
 不被為叶今節下刻薨御被遊候旨
 達有之尚又右大将様江伺御機
 嫌申候事
一今日より追而相達候上精進仕立之儀
 申出候
   七月廿三日
一御朦中為伺御機嫌登城
 右大将様御事今日より
 上様と奉称弥以精勤相励
 可申旨被 仰出之
   七月廿四日
一為伺 御機嫌登 城
一家中之面々髭剃之儀可為勝手
 次第ノ旨目付より相達足軽己下
 月代遠慮ニ不及候事
   七月廿五日
一為伺 御機嫌登 城
   七月廿八日
一為伺 御機嫌登 城
一御直参之面々御初七日過髭
 剃可申候陪臣ハ御初七日過
 月代剃可申候旨被仰出之候
 家中へ月代御免之儀申達之
廿九日
一今朝より我等髭剃候事
   八月四日
一家慶公御遺骸今日増上寺へ
 御葬送
   八月五日
一為伺 御機嫌惣出仕登 城
   八月七日
一為伺 御機嫌外様万石以上之面々
 登 城
一精進之儀昨日限今日より鮮仕立申付候
 尤御中陰登 城之節々ハ朝計
 精進申出候且屋敷内魚鳥留も
 今日より差免候事
   八月八日
一増上寺 御新牌拝礼白帷子
 大紋着用之事
   八月十三日
一普請者来十三日より不苦旨昨日
 御触到来
 右ニ付屋敷ニ而も右之旨申出候事
 且諸稽古事普請御免より例致し
 来候得共此度者追而相達候迄ハ
 先見合候様以目付三席へ申達候事
   八月十五日
一為伺 御機嫌惣出仕ニ付登 城
   八月十九日
一昨日御触ニ而武芸稽古之儀武
 備専要之折柄ニ付来廿三日より
 武芸稽古并鉄砲打試相始
 不苦旨御達有之ニ付右之趣一統へ
 申達且又廿三日より勝手次第稽古
 致候様申達候
   八月廿一日
一国持衆初外様之者来廿三日より
 月代剃候様御達有之
   八月廿三日
一昨日新御廟江御参詣済ニ付為伺
 御機嫌惣出仕登 城
一家慶公御院号拝見被仰付候事
一今朝より月代刺候事
   八月廿六日
一為伺 御機嫌外様万石以上之面々
 登 城
   九月四日
一為伺 御機嫌惣出仕登 城
   九月八日
一増上寺方丈ニ而 慎徳院様御牌
 前へ参詣尤御触ニ付而也
   九月九日
一花色小袖長上下着用登 城
 謁也
   九月十一日
一来十三日より御中陰明ニ付所作ニ仕候者
 計鳴物御免被仰出候旨昨日附ニ而
 御触来ル
   九月十三日
一上様御中陰昨日限ニ而今朝御
 忌明ニ付為伺御機嫌惣出仕
 登 城
   九月十五日
一今日登 城御代替御礼前ニ付謁也
一今日より当日之礼有之
   九月十八日
一御代替御礼初日ニ付登 城
   九月廿二日
一今日麻布稲荷祭礼之処御百ケ日も
 不相立候ニ付暫見合ニ相成候事
   十一月廿三日
一将軍宣 下
 
 
御城代江以手紙出仕之義
可申遣事 但し上下着用
 

現代訳

 
  日記の抜き書
 嘉永六癸丑年
   七月二十日
一 公方様御病気に付き御機嫌伺いに皆
  出仕する
 
   七月二十二日
一 御機嫌伺いの為皆出仕したところ御機嫌伺いには
  及ばない旨大廊下において御達しがあり 程なく老中出席伊勢
  守殿より 公方様特別の御養生
  にも叶わず昨夜遅くお亡くなりになられた旨
  御達しがあり なおまた右大将(徳川家定)様へ御機嫌伺い
  申し上げたこと
一 今日より順次お達しがある迄精進仕立(身を清め不浄なことを避けること)を行いますと申し出た
 
   七月二十三日
一 御不幸中御機嫌伺いのため登城する
  右大将様御事 今日より
  上様と称し奉り弥(いよいよ)もって精勤を相励む
  旨仰せがあった
 
   七月 二十四日
一 御機嫌伺いのため登城する
一 家中の方々髭剃(ひげそり)の儀 勝手
  次第(髭剃しない)の旨 目付よりお達しがあり 足軽以下は
  月代(さかやき)遠慮には及ばないこと
 
  七月二十五日
一 御機嫌伺いに登城する
 
  七月二十八日
一 御機嫌伺いに登城する
 
 一 御直参の方々御初七日過ぎ 髭
 剃りするように言われ 陪臣(家来衆)も御初七日過ぎ
  月代を剃るように言い渡された
  家中へ月代御免の儀を申し伝える
二十九日
一 今朝より我等髭剃りすること
 
   八月 四日
一 家慶公御遺骸 今日増上寺へ
  御葬送
 
   八月 五日
一 御機嫌伺いに皆出仕登城する
 
   八月 七日
一 御機嫌伺いのため外様万石以上の面々
  登城する
 
一 精進の儀昨日限り 今日より鮮仕立(生ものの料理)を申し付ける
  もっとも御中陰登城の節々には朝ばかり
  精進するようにし且屋敷内に魚や鳥を持ち込むのも
  今日よりやってよいこととする
 
   八月 八日
一 増上寺の御新牌を拝礼 白帷子
  大紋を着用すること
 
   八月 十三日
一 普請は来る十三日より行っても良い旨昨日
  お触れが届く
  右により屋敷においても右の旨申し出ること
  且つ諸稽古事 普請実施は例となっているので始め
  ようとするがこの度は追って通達するまでは
  見合わせするよう目付から三席の者へ申し伝えること
                *三席=近習、祐筆、茶道坊主
   八月 十五日
一 ご機嫌伺いのため皆出仕に付き登城する
 
   八月 十九日
一 昨日お触れにて武芸稽古の儀 武備
  専ら必要な折柄につき来る二十三日より
  武芸稽古並びに鉄砲打ち試しを始めることは
  行ってよい旨お達しがあったので右の趣を一統へ
  申し伝え且また二十三日より勝手次第となっていた稽古
  もして良いと申し伝える
 
   八月 二十一日
一 国持大名はじめ外様の者 来る二十三日より
  月代を剃るよう伝える
 
   八月 二十三日
一 昨日新御廟へ御参詣済みに付き
  御機嫌伺いのため皆登城する
一 家慶公御院号拝見仰せ付けられのこと
一 今朝より月代剃ること
 
   八月 二十六日
一 御機嫌伺いのため外様万石以上の方々
  登城する
 
   九月 四日
一 御機嫌伺いのため皆出仕登城する
 
   九月 八日
一 増上寺の方丈にて慎徳院様御位牌
  前へ参詣する もっとも御触れによって
 
   九月 九日
一 花色小袖長裃着用して登城
  謁見する
 
   九月十一日
一 来る十三日より御中陰明け(忌明け)につき仕事、正業としている者は普段の暮
  しを鳴り物(普請、鉄砲等音の出る仕事)を行ってよい旨昨日つけで
  お触れが来る
 
   九月十三日
一 上様御中陰 昨日限りにて今朝
  御忌明けにつき御機嫌伺いのため皆出仕
  登城する
 
   九月十五日
一 今日登城し御代替お礼の前につき謁見される
一 今日より当日の礼あり
 
   九月十八日
一 御代替御礼初日に付 登城する
 
   九月二十二日
一 今日麻布稲荷祭礼のところ御百ケ日も
  相立たずところに付きしばらく見合わせになったこと
 
   十一月二十三日
一 将軍宣下
 
 
 御城代へ手紙を以って出仕の儀を
申し遣わすべきこと 但し裃(かみしも)を着用のこと
 
 
      ― 了 ―