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管理番号六九
遠山家文書史料番号五三六
1 画像(翻刻付)
元禄十五壬午年
濃州岩村城請取在番諸事覚書
六月廿四日
2 画像(翻刻付)
御用儀候間明廿五日四時
可有 登 城候以上
六月廿四日 稲葉丹後守
秋元但馬守
小笠原佐渡守
土屋但馬守
阿部豊後守
遠山和泉守殿
御切紙被下候謹而奉拜見候御用之儀御座候間
明廿五日四時登 城可仕之旨奉畏候為御請
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捧愚札候恐惶謹言
六月廿四日 遠山和泉守
右御五人様
脇付
一廿五日御登 城御老中御五人御列座ニ而堀大和守様
此方御両人江濃州岩村丹羽和泉守城請取被
仰付此方家来ニ而在番被 仰付候旨御用番
相模守様被 仰渡候
高壱万七千石役高 堀大和守
本高 遠山和泉守
右寄人岩村城請取之両人共直ニ在所江可被相越候
在番者和泉守家来ニ而可勤之候
此書付
六月廿五日 土屋相模守様御渡
御退出之節大和守様御同道ニ而御老中様美濃守様
右京大夫様若御年寄中不残御勤
一同廿五日大御目付衆より御切紙堀大和守様迄到来之由ニ而
御使者ニ而来ル
文 言
尚々 相模守殿へ不及御請候返事ハ同役向寄之方へ可被遣候
濃州岩村江為御目付斎藤治左衛門榊原八兵衛へ被
仰付候且又丹羽和泉守方之儀諸事高木主水正
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三枝(さえぐさ)摂津守へ可被相談候此旨可申達候由相模守殿
被仰聞候為其如此候以上 折井淡路守
六月廿五日 近藤備中守
堀大和守殿 安藤筑後守
遠山和泉守殿 仙石伯耆守
右之返答
猶々相模守殿へ不及御報候由是又得其意存候以上
御切紙致拝見候濃州岩村へ為御目付斎藤治左衛門
榊原八兵衛方被 仰付之旨且又丹羽和泉守方之儀
諸事高木主水正三枝摂津守江可致相談之由
右之段土屋相模守殿被仰付候旨奉得其意候以上
六月廿五日 此方御両人
右御四人様へ
一右御目付御両人様へ大和守様被仰合御使者被遣候事
一幸橋御番所相番江引渡可申哉以使者相模守様江
相伺候処追付代り可被 仰付候間 相番申合候様ニと御返答
一毛利飛騨守様江右御番所之儀御案内被仰遣候
同廿六日
一早朝大和守様御同道ニ而土屋相模守様江為御礼御越
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一堀大和守様江仰合高木主水正様三枝摂津守様江
岩村城御受取之儀ニ付為御案内以使者被仰入候
一岩村城請取御代官辻六郎左衛門様南條金左衛門様江被
仰付候由ニ而今日御出御逢被成候今朝者得御意ニ而大慶存候
然者今般之儀ニ付御家来衆と丹羽和泉守家来と
申談候儀御座候ハヽ被仰聞可被下候右為可得御意如斯
御座候 六月廿六日 高木主水正
三枝摂津守
堀大和守様
遠山和泉守様
御手紙令拝見候如仰今朝者得御意致大慶候然者今般之
義ニ付丹羽和泉守殿家来へ拙者共家来之者申
談候儀茂御座候ハヽ可申進之旨被入御念被仰聞候趣得
其意存候申談儀茂候ハヽ各様迄可申進候猶期
面上之時候以上
此方
六月廿六日 御両人
右御両人様
此返事使者ニ而摂津守様へ被遣候
同廿七日
一岩村御目付斎藤治左衛門様榊原八兵衛様へ御使者ニ而
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鮮肴一種ツヽ被遣之候
今度城請取之為御祝儀也
一岩村之城請取之為御相談堀大和守様江御越
一大和守様被仰合今日右御両人之御目付衆江御見舞
被成候
六月廿八日
一今日御登 城大和守様此方へ御出談候事被仰合候
出来合之御料理出之
同廿九日
一今朝御用番相模守様江大和守様御同道ニ而御越
御書付二通御持参左之通り
覚
私議被下御暇候其以後岩村之城請取之日限御目付中へ
申合御当地発足可仕候在所向寄ニ御座候間先在所江
罷越少々逗滞仕在所ニ差置候家来召連岩村江
罷越度奉存候付奉伺候以上
六月廿九日 遠山和泉守
覚
一騎馬 拾騎
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一鉄砲 二拾挺
外持筒五挺
一弓 拾挺
外持弓四張
一鑓 但長柄 二十本
外持鎗五本
一旗 三本
惣人数四百人余此人数ハ廿三年以前志州鳥羽之
城請取在番之節御差図之通り之役高也
六月廿九日 遠山和泉守
右御伺之通り被成候様ニと土屋相模守様御差図被成候
堀大和泉(ママ)様茂御同事
一斎藤治左衛門様榊原八兵衛様より御連名之御切紙来ル文言
以手紙致啓上候申談候儀御座候間御家来衆今七時
治左衛門宅江可被遣候尤大和守殿へ茂此段申進候以上
六月廿九日 斎藤治左衛門
榊原八兵衛
右御返答
御手紙令拝見候被仰談候儀御座候間今七時御宅江
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家来壱人差遣可申旨得其意存候堀大和守殿へも
被仰遣候由致承知候以上
六月廿九日
右御両人様へ
一 六月廿九日
一今晩御目付斎藤治左衛門様榊原八兵衛へ被召呼
丹羽和泉守様家来と出合申合何頃城相渡
可申候哉承申上候様ニと被仰候
一丹羽和泉守様閉門ニ付高木主水正様三枝摂津守様
江之御手紙文言
今日斎藤治左衛門殿宅へ家来之者被相招榊原八兵衛殿
被出合被申聞候者御両所江御案内申入丹羽和泉守殿之
家来衆と拙者共家来致対談候様ニと被申聞候
明日何時和泉守殿家来衆となたへ可被召呼候哉
被仰聞可被下候其節拙者共家来差遣可申候右之段
為可得御意如此御座候以上
六月廿九日 此方御両人
高木主水正様
三枝摂津守様
一明昼時高木主水正様御宅へ丹羽和泉守様御家来
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可被召呼候間御家来可被遣候旨相応ニ御返事来ル
同晦日
一今昼時高木主水正様御宅江此方家来神田
宅右衛門河内権右衛門大和守様御家来太田
源五右衛門何ノ源左衛門参丹羽和泉守様御家来
鈴木十郎右衛門馬場唯右衛門被参諸事承申合
罷帰候
一主水正様ニ而家人共江御馳走被仰付候付而双方より
以使者御礼被仰遣候事
一御老中御連名之御剪紙相模守様より御徒使
にて来ル
御用之儀有之候間明朔日五半時
可有登 城候以上
一御請毎(つね)之通
七月朔日
一今晩七時御目付御両人江吉田源五右衛門神田
宅右衛門申合罷越丹羽和泉守様御家来
何頃城相渡可申候哉与相尋候処難定返答之
趣一々申上候丹羽和泉守様両人之家来衆も
被参被召出御尋被遊候
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一今朝五時御登 城岩村江之御暇御拝領時服四
御羽織御頂戴
一大和守様御目付御両人御代官御両人も御暇也
七月二日
一今朝大和守様御同道御暇御拝領之為御礼
御用番阿部豊後守様江御越御対談
同五日
一今晩堀大和守様江御目付斎藤治左衛門様榊原
八兵衛様此方御招請諸事被仰合候為御用神田
宅右衛門御供
一今月十九日御目付御両人江戸御発足東海道御登同
廿七日岩村町江御着廿八日迄御城御見分廿九日
城請取渡之由御差図也
一同十五日此方江戸御発足
一同十六日堀大和守様江戸御発足之被仰合也
一御用番阿部豊後守様江今月四日御伺之書付
今晩八時留守居之者
双方より御呼御渡し大和守様於御宅御披見追付為
御請留守居之者被遣候
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覚
左之通ケ條御用番阿部豊後守様江御伺
一岩村江参着城請取候以後注進之儀堀大和守与
連判ニ而使札ニ可仕候哉以飛札可申上候哉
連名之以書状御目付中より之次飛脚ニ
可被越之候
一在所より岩村江発足仕候節以飛札御届可申上候哉
不及其儀候
一岩村城受取注進状差上在所江罷越候ハヽ飛札
を以御届可申上候哉
去年赤穂江被遣候衆被承合可為其通候
一在所江到着仕候者例年御暇被下節之通御礼
使者指上可申哉
右ニ申達候
一城請取口之儀奉窺候
本丸ハ大和守二丸ハ和泉守可被請取候此外之
所々ハ御目付中申談可被請取候
一城受取候以後彼地ニ罷在諸事申付在所江罷越
申度候其節何方ニ住居可仕候哉
御目付中可被申談候
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一在番中別條無御座候段御届之儀一ケ月一両度
ツヽ以飛脚注進可仕候哉
不及其儀候
一岩村之城役高之人数在番中其儘差置可申哉
役高ニハ不及候間番人口々相応ニ被指置
人少ニ可被申付候不入口ハしめ切可被申付候
一城破損有之節修覆之儀如何可仕候哉
御代官可被相談候
一城外若(もし)出火之節家来指出消させ可申候哉
伺之通たるへく候
一岩村町祭礼有之節前々城内并侍屋敷通り
来り候場所有之候ハヽ在番中相通可申候哉
見合次第たるへく候
一岩村より六七町程脇丹羽和泉守居屋鋪有之
和泉守在国之節者彼屋敷ニ罷在候由城外之
屋鋪ニ而御座候当人差置可申候哉
御目付衆被相談番人指置可然候ハヽ
かろく番人可被指置候
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此書付御目付中様へ御伺之書付也
覚
一御両人当御地何時分御発足ニ而可有御座候哉岩村へ
何頃御参着ニ而何日御請取可被成候哉且又道中
御泊昼休承度候事
別紙書付進之候
一御両人御先江家来之者壱人遣諸事支度申付度事
其通可被成候
一岩村城丹羽和泉守家来之者可罷在候拙者家来
先達而遣候ハヽ御両所御指図ニ付遣置候段相届
可申哉之事
其通可被成候
一私議御暇被下候ハヽ当御地発足先在所江罷越候
何頃岩村江到着何方ニ而御対面可仕哉之事
岩村へ御着之儀追而可申入候城受取
場所ニ而御対面可申候
一城受取之日私人数何方ニ可罷在候哉之事
先達而被遣候御家来へ於岩村可相達候
一城請取之当日私議何方迄致馬上家来之者共ハ
何方ニ而下り立候様可仕哉之事
於岩村可申達候
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一城請取口ニ人数立置其節御差図次第城内江
入可申哉之事
御差図可申候
一城受取之前夜何与申駅ニ可被成哉之事
岩村に着罷在候
一弓鉄砲長柄等何方迄為持足軽具足等為持
参候様可申付哉之事
込合不申候御心得可被成候猶又於彼地可申達候
一城受取之日家来之者羽織立付可為致着用与
存候事
其通可被成候
一私家来共城内江自分々之鑓具足等何レ之処迄
持せ可申哉之事
於岩村可申達候
一私家来共番所相勤候儀人数之多少弓鉄炮
之員数可有御座与存候其外三道具迄指置
候之様可申付与存候事
其通被成候
一岩村城附之武具城米御書付ニ而茂被遣丹羽
和泉守家来私家来立合請取可申儀御座候哉
15 画像(翻刻付)
定而互に帳面ニ而請取可申哉と存候事
双方立合請取候様被成候委細ハ於彼地
可申談候
一城受取候日城内不残自分致見分城外茂見廻り
可申哉之事
御受取以後城内計御見分可被成候
一城内ニ而私如何様之所ニ可有罷在候哉家来共ハ家中
之明屋鋪ニ差置可申哉之事
於彼地可申達候
一大手其外門番所早速手前之人数差置申ニ而可有御座
哉之事
其通可被成候
一彼地受取候以後御役人門出入如何可仕候哉私家来者
札ニ而往来為致可申与存候事
判鑑ニ而出入致シ候様可被成候御家来之儀其通
可被成候
一城内外門戸を立候所ニ茂番人指置可申哉之事
所ニ寄可申候猶於彼地可申達候
一城内ニ塩硝蔵有之候ハヽ番人付置可申哉之事
番人可被差置候
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一城内ニ火之見所仕番人指置可申哉之事
軽く可被成候
一城外折々番頭目付役之者見廻并町廻り茂
可申付哉之事
城外ハ御無用ニ候
一火事有之節城外ニ而茂人数指出消せ可申哉事
其通可被成候
一門明たて之刻限朝夕六時限ニ仕夜ニ入候ハヽ
往来一切無用可仕哉之事
其通可被成候
一御高札之儀私相構候義者御座有間敷と存候事
御構無御座候
一時之鐘ニ而茂太鼓ニ而茂有之候ハヽ時を知らせ
候之様可申付哉之事
其通可被成候
一岩村城在所近所之儀候間番人代りニ相勤
させ可申哉之事
御勝手次第可被成候
七月朔日 遠山和泉守
17 画像(翻刻付)
同九日
一御用之儀有之候間明十日四時登
城可有旨右之文言ニ而御老中御連名ニ而
阿部豊後守様より御奉書到来御請例之通
一十日大和守様御同道御登 城被成候処
御黒印并道中御扶持方御証文御頂戴
御退出之節御老中美濃守様右京大夫様
若御年寄中不残為御礼御廻り
一十一日大和守様御同道ニ而御用番様江御出右
御黒印之御礼御対談右 御黒印ハ大和守様に
有之写此方へ参候
御証文之文言
覚 高壱万五百石役
百五拾七人半扶持 遠山和泉守
右美濃国岩村城為請取被遣候付被下候間
路次上下并彼地逗留中書面之通以直
手形相渡重而可有勘定候以上
元禄十五年 丹後
七月十日
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但馬
佐渡
相模
豊後
辻六郎左衛門殿
南条金左衛門殿
御黒印御文言
定
一今度美濃国岩村城為請取差遣候間存
其旨万事法度之趣堅可申付候事
一喧嘩口論停止之訖有違犯之輩者双方可
誅罰之万一令荷担者其咎可重猶本人事
一猥不可伐採竹木并不可押買狼藉事
一在番中人返之儀一切可為停止於有申旨者重而
可沙汰事
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一城中并侍屋敷町等迄火之用心無油断可被
申付事
右可相守此旨者也
元禄十五年七月朔日御黒印
堀大和守とのへ
遠山和泉守とのへ
一本丸請取方城中飾道具
鉄炮 十挺
弓 五張
長柄 十筋
一二丸請取方城中飾道具
二ノ番所 鉄炮 五挺
弓 三張
長柄 五筋
20 画像(翻刻付)
一大手番所
鉄炮 五挺
弓 弐張
長柄 五筋
城受取之節右之通可被成候
七月十三日
一七月廿九日城受取候刻限之儀明六時過と御心得
可被成候其刻前大手前へ堀大和守殿御手廻り之
人数持弓持筒持鑓之分被召連并本丸請取
方之人数番所之武道具ハ渡方之人積りニ
被成一ト切ニ人数御立可被成候其節拙者共御面談
申両人儀ハ御先江城入申候而以後両人方より
御案内可申入候間右之人数御引連次左衛門
罷在候処へ大和守殿ニハ御出可被成候役所請取候
人数者直ニ面々之受取/\之場所へ被参不残
請取相済候ハヽ渡方之家来と被申合相済
候之段此方江可被申聞候其節致差図渡方之
人数急坂口より引払せ可申候
一同刻遠山和泉守殿御手廻之人数持弓持筒
21 画像(翻刻付)
持鎗并二三丸其外口々之人数番所之武道具
者渡方之人積ニ被成大和守殿人数之跡に付
一ト切ニ御立置可被成候拙者共両人致面談先達而
城入可申候本丸受取相済候而以後御案内可申候間
右之人数御引連治左衛門罷在候所へ和泉守殿ニ者御出
可被成候役所受取候人数者直ニ面々受取/\之場所へ被参不残
請取相済候ハヽ双方申合可被申聞候渡方之
人数急坂口より引払せ可申候
一大和守殿ニハ本丸御一覧本丸多門か二丸番所か
之内ニ拙者共茂可罷在候間其所へ御出可被成候
一和泉守殿ニ茂右同前
一城外番所居屋鋪等ハ不残本丸二ノ丸請取候
内ニ請取渡被致不残相渡候段双方被申合ニ而
家老中拙者共罷在候所へ被参可被申聞候此時
渡方之家来共江不残城中引払申候様ニ可申渡候
一城内へ被召連候弓鉄炮持鎗一方ニ片付込合不
申候様ニ可被仰付候左右之儀ハ於岩村可申達候
一惣受取相済候而本丸大和守殿より和泉守殿江請取
可被成候此人数ハ請取之人数之跡ニ付城外に
御立置御両所江御差図可申候間其節人数
22 画像(翻刻付)
致城入候様ニ被成大和守殿御請取候場所共不残
和泉守殿御請取可被成候右相済候而御寄所
家老中より其段可被申聞候此節大和守殿御人数
御手廻之外不残大手口へ御引払せ可成候大手ニ而
込合不申候様惣人数共ニ片付町端レ迄御引取
可被成候
一御両所下馬之儀追手之内武者屯橋外迄御乗馬
被成直ニ其所ニ馬可被指置候御乗替之馬者
惣人数之内ニ可被差置候
一御両所惣人数者右人数之末ニ大和守殿御人数
一ト切に被成込合不申左右に片付供馬供鑓共可被指
置候
一城中江入候御家来ハ家老用人中計城中江鎗
持せ候而弓鉄炮被差置候末ニ片付罷在候様ニ
可被成候請取之役所へ召連被申候又者ハ随分
人少ニ召連被申候様可被仰付候
一和泉守殿城中へ被召連候 人数ハ城外込合不申
候之時分御考静ニ御出被成候節城中ニ被差置候共
御勝手次第可被成候
一右相済次第大和守殿ハ城中御見分被成候而居
23 画像(翻刻付)
屋敷迄御越被成候其以後拙者共両人旅宿
まて可罷帰候其以後和泉守殿御勝手次第
城中御見分被成居屋敷へ御越治左衛門方迄
御案内次第両人申合可参候
一此節御代官衆被罷出候儀も可有之候左候ハヽ同道
申義も可有御座候間為御心得申入候
一此節 御黒印御渡候ハヽ請取可申候御注進之
状ハ旅宿迄被遣候様致度存候
一右御用相済候ハヽ大和守殿ハ早速岩村御引取
可被成候間御人数不残御引取之段旅宿まて
可被仰聞候
一右之通御心得可被成候於彼地見分之上存寄も
御座候ハヽ其節可申達候
以上
七月十三日
覚
一七月十九日 江戸発足
一同廿七日 岩村着
一同廿九日 城受取
以上
24 画像(翻刻付)
七月十六日 斎藤治左衛門
榊原八兵衛
右三通御書付御目付中様御渡し
覚
七月十九日 江戸発足
八日 川崎休 戸塚泊
廿日 大磯休 小田原泊
廿一日 箱根休 沼津泊
廿二日 神原休 江尻泊
廿三日 岡部休 金谷泊
廿四日 袋井休 浜松泊
廿五日 白須賀休 赤坂泊
廿六日 岡崎休 柿野泊
廿七日 岩村着
以上
七月六日
右者御目付斎藤治左衛門様榊原八兵衛様濃州岩村
御越之節御旅宿
一七月十五日此方江戸御発駕同廿二日御城着則日
為御礼御使者を以御肴一種御献上御使札御文言
25 画像(翻刻付)
一 筆啓上仕候
公方様益御機嫌能被成御座候旨恐悦之御事候
然者私儀今度岩村之城請取在番被仰付之
冥加至極奉存候其上被下御暇時服御羽織
拜領之重畳難有仕合御座候今廿一日在所致
到着候因茲為御礼各様迄以使者御肴一種
献上仕候可然御差図奉頼候恐惶謹言
七月廿二日 遠山和泉守
御老中御五人様
参人々御中
松平美濃守様
松平右京大夫様
若御年寄中御五人致啓上呈愚札
御側衆廿八人 同断 如此御座候
一七月廿九日明六時堀大和守様御同道岩村之城
御請取即日御注進之御状御目付衆より之次飛脚
御頼
右御文言
一 筆啓上仕候
公方様益御機嫌能被成御座候旨恐悦奉存候然者
26 画像(翻刻付)
濃州岩村斎藤治左衛門榊原八兵衛申合之今廿九日
卯刻無異議請取之所々番人等差置之候和泉守ハ
今日致逗留万端堅申付明日在所へ発足可仕
奉存候大和守儀ハ即日在所へ罷立候扨又
御黒印治左衛門八兵衛迄返上仕候委細両人より言上
可有之候得共右之趣為可申上捧飛札候上所
七月廿九日 堀大和守
遠山和泉守
御老中御五人
松平美濃守様 [是より末ハ御黒印文言 不入]
松平右京大夫様
若御年寄中様 御四人
御側衆 御八人
一七月廿九日岩村城御請取被成堀大和守様者即日
御在所へ御発足被成候此方廿九日翌日朔日両日
御逗留所々御見分二日御帰城
一御帰城御届御使札
右文言
27 画像(翻刻付)
一 筆啓上仕候
公方様益御機嫌能被成御座候旨恐悦奉存候
然者先達而申上候通岩村城無異議請取之
番人等弥堅申付之私儀先月廿九日今朔日両日
彼地逗留仕今二日在所江致帰着候右之趣
為可申上捧使札候上所
八月二日 遠山和泉守
御老中御五人
松平美濃守様
松平右京大夫様
28 画像(翻刻付)
若御年寄中御四人
御側衆御八人
一九月七日御用番但馬守様江留守居之者壱人
参候様ニと申来則河内権右衛門参上宿次之
御奉書并道中宿次之御証文一通御渡シ御文言左之通
濃州岩村城石川能登守江被替下候間可被
得其意候委細者追而可相達候恐々謹言
御老中御五人
九月七日
遠山和泉守殿
此状箱従江戸至濃州苗木遠山
和泉守所江相達返礼可来候間於
江戸月番之老中江急度可持参
者也
午九月七日 但馬印
右宿中
一従 秋元但馬守様至濃州苗木遠山
和泉守様江被遣候油紙包之御状箱壱ツ
木札付御巻封有之
但馬守様宿次之御証文壱通
29 画像(翻刻付)
一従遠山勝千代様遠山和泉守様江被遣候
のり付之御状壱通右御状箱ニ結付有之
右之通戌之中刻ニ請取則板橋江差越申候
為後日一札仍如件
大伝馬町
元禄十五年十九(ママ)月七日 馬込勘解由
月行持 庄左衛門
同 次郎右衛門
遠山勝千代様御内
西尾源蔵殿
一右御奉書同十一日苗木江到来同日御請
宿次ニ而出ス文言
去七日之御奉書以宿次同十一日巳之刻
到来謹而奉拝見候然者濃州岩村城
石川能登守江被替下之旨奉承知候委細ハ
追而可被仰下候由奉得其意候為御請捧
愚札候上所
九月十一日 遠山和泉守
御老中御五人
30 画像(翻刻付)
一岩村御引渡御目付九月廿一日被 仰付候
御使番 野々山源八郎様
戸田土佐守様御組 渡辺孫三郎様
右御両所江為御届神田宅右衛門参候
九月廿七日
一御目付野々山源八郎様渡邊孫三郎様より宅右衛門
方江御手紙来ル文言
以手紙ニ而啓達候然者申談度儀有之
候之間今七時源八郎宅江御越可有候
為其如此候以上
御請相応ニ仕候
九月廿七日
一岩村城引渡之日限石川能登守殿家来
衆江能々被申談早々可被申聞候事
一彼地江参着罷在候所障も無之候者斎藤
治左衛門榊原八兵衛旅宿ニ可罷在候事
一岩村城絵図有之候ハヽ可被差出候心得ニ見
申度候事
一岩村江之道筋道法御書付御越可有事
一彼地在番之御家来衆ニ而直ニ御渡有之候哉
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且又此方より御用人衆被差遣候哉左候ハヽ
右之御用人衆江逢可申候事
一彼地城中其外番所前方より仕来人数弓
鉄炮長柄等之数其所ニ委細張紙致し其
張紙之写一帳ニ認彼地江着候節請取可
申候能登守殿請取之人数引入候儀御心得
可有候無左候ハヽ込合ニ而如何と存候事
一城附之武具并城米等有之候ハヽ帳請取可
申事
一城下侍屋敷足軽屋敷等ニ御家来衆居被
申候ハヽ戸障子畳等迄相改致張紙尤居被
申候仁之名苗字書印被置其張紙之写
致一帳ニ是又彼地ニ而請取可申事
一不及申候得共諸事能登守殿家来衆江
御申談可有之候尤物静成様ニ御申付火之
元等可被入御念候事
右御書付御目付中より御渡在所江早々遣ス
覚
一濃州岩村御引渡之御目付衆岩村着之節
和泉守罷越石川能登守江相渡候儀諸事
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可申合候哉以家来可申合哉之事
石川能登守不被参候ハヽ
及被相越間敷候
一人数最前被仰付候役高之通差出相渡可
申候哉只今岩村ニ差置候在番之人数ニ而
相渡可申哉之事
在番之人数ニ而引渡済候ハヽ
其通ニ可被致候
一岩村城能登守江相渡候者和泉守家来より
苗木居城江早速可申越候其節注進之
書状使札可仕候哉以飛札可申上哉之事
城引渡之注進以使札可被申越候
十月四日 遠山和泉守
覚
濃州岩村城石川能登守江相渡候者早速
私参勤之儀可奉伺候哉
岩村之城引渡済候ハヽ参勤之儀可被相伺候
十月四日 遠山和泉守
右御伺書二通十月四日秋元但馬守様江差出
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同八日御付札御渡品々在所江遣候
一十月廿八日岩村御城石川能登守様江御請取人数覚
城請取人 河合宗左衛門
味岡次郎左衛門
石寺十左衛門
梅村弥五右衛門
大山文右衛門
城米請取役人 黒住左右衛門
代官手代壱人
二之丸番所請取人 荻山小一左衛門
弓拾張 山本得之進
鉄砲弐拾挺
長柄弐拾本 泊 源六郎
矢箱 平田彦七郎
玉箱
二之丸門 足軽小頭壱人
突棒 足軽 五人
指俣
もしり 中間 弐人
棒
急坂口門 足軽 弐人
突棒
指また 中間 弐人
もしり
棒
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水晶山口門 足軽 弐人
棒 中間 壱人
追手門 朝倉喜兵衛
突棒 藤懸次右衛門
さすまた 足軽小頭壱人
もしり
棒 足軽 三人
中間 弐人
二門番所なし
一之門 足軽小頭壱人
棒 足軽 五人
中間 弐人
城坂下辻番所
突棒 足軽 弐人
さすまた
もしり 中間 弐人
棒
下屋敷請取役人
山川安右衛門
境野平次右衛門
下屋敷広間番人
松岡弥次右衛門
川隅物右衛門
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中嶋政右衛門
上野源五兵衛
同所門番所
突棒 足軽小頭壱人
さすまた
もしり 足軽 弐人
棒
蔵屋敷門
棒 足軽 弐人
郷村帳請取役人 松下安兵衛
白井 團平
米蔵請取人 大脇喜太夫
代官手代壱人
塩硝蔵請取役人 小嶋次郎右衛門
下目付壱人
材木蔵請取役人 松下金右衛門
普請方手代壱人
家中屋敷請取役人 山本小左衛門
太田藤五右衛門
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一和泉守渡方人数役人覚
家老 小池傳兵衛
宮地守右衛門
武頭 旗頭 幸纈市兵衛
弓頭 棚橋源太左衛門
給人 吉田峯右衛門
幸纈勘右衛門
長沼八左衛門
深尾龍左衛門
小倉軽右衛門
徒頭 長沼万右衛門
中小性目付 市川定左衛門
中小性 嶋崎三五左衛門
安田造酒右衛門
普請奉行 根本兵蔵
徒目付 東 宅助
石原文六郎
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小里 團蔵
徒士 長田新七郎
細野 織助
野村新六郎
賄之者 市岡 守助
西尾伴右衛門
足軽 三拾五人
中間 四拾弐人
下男 拾弐人
岩村より苗木居城江
急ヲ告候ため 馬 三疋
厩之者 六人
時之太鼓打 三人
又もの 弐拾九人
医師 坂倉玄長
惣人数百四拾九人
一注進状十一月二日秋元但馬守様江得御内を
御老中様美濃守様右京大夫様若御老中様江
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口上ニ而使者同道尤御用番之御方様江者御
連書持参御側衆へ者筆頭之御方江
使者同道連書令持参候文言記左
一 筆啓上仕候
公方様益御機嫌能被成御座候間恐悦奉
存候然者濃州岩村城為引渡御目付野々山
源八郎渡邊孫三郎被遣之候両人差図之通
今廿八日石川能登守家来江岩村差置候
在番之家来立合無異議相渡申候尤
家来之面々即刻在所江引取申候右之趣
為可申上捧使札候上所
七月廿八日
御老中様御五人
松平美濃守様
松平右京大夫様
一 筆致啓上候
公方様益御機嫌能被成御座候旨恐悦
奉存候然者濃州岩村城為引渡御目付
野々山源八郎渡邊孫三郎被遣之両人
39 画像(翻刻付)
差図之通今廿八日石川能登守家来江
岩村差置候在番之家来立合無異議
相渡申候尤家来之面々即刻在所江
引取申候右之趣為可得其意呈使札候
恐惶謹言
十月廿八日
若老中御四人様
一 筆致啓上候
公方様益御機嫌能被成御座候旨恐悦
奉存候然者濃州岩村城為引渡御目付
野々山源八郎渡邊孫三郎被遣之両人
差図之通今廿八日石川能登守家来江
岩村差置候在番之家来立合無異議
相渡申候尤家来之面々即刻在所江引
取申候右之趣為可得御意如斯御座候恐惶
謹言
十月廿八日
御側衆八人
40 画像(翻刻付)
一十月三日御参勤伺差出候文言左ニ記
一 筆啓上仕候
公方様益御機嫌能被成御座候旨恐悦
奉存候猶又先達而申上候通岩村城今
廿八日石川能登守江無異議相渡申候
依之私参勤之儀奉伺之度存捧飛
札候被遊御差図可被下候恐惶謹言
十月廿九日
御老中御連名
一 筆啓上仕候
公方様益御機嫌能被成御座候旨恐悦
奉存候猶又先達而申上候通岩村城
今廿八日石川能登守江無異議相渡
申候依之私参勤之儀御老中迄
奉伺候右之趣為可申上捧愚札候
恐惶謹言
十月廿九日
松美濃守様
松右京大夫様
参人々御中