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管理番号「三〇」
遠山家史料番号「一〇四七」
1 画像(翻刻付)
明治第四号 辛 未
苗 木 藩 廰 日 誌
従(より)正月
2 画像(翻刻付)
正月元日
一官員始銃手(じゅうしゅ)ニ至ル迠年賀トシテ
辰ノ刻参庁
一知事疝瀉(せんしゃ)ニ付参庁断
一年始ノ祝トシテ官員始一同ヘ御
酒被下候旨申シ達ス
3 画像(翻刻付)
正月三日
一東京府ヘ便締リニ付参庁
一夕刻東京表ヨリ便リ到着候処信州
中野県ニオイテ旧冬百姓蜂起候
ニ付御沙汰次第人数サシ出候用意
致居候様御達有之候旨申シ来ル
正月四日
一東京旧猟(きゅうろう)廿四日立佐々木仕丁河
野堅一郎着
正月五日
正月六日
4 画像(翻刻付)
正月七日
一賞賀(しょうが)トシテ官員巳ノ刻参庁
一佐々木権少属小栗史生(ししょう)新田史
生右何レモ風邪ニ付参庁断申
出ル
一曽我権大属宣教懸(かか)リ差免ジ水野
少参事ヘ宣教懸リ申達ス
一村々里正(りせい)神職年賀トシテ参庁
一岩島匡明(ただあき)東京旧臘廿四日出
立東海道ヨリ今日到着
正月八日
一今日用始
一西野真澄明日ヨリ十四日マデノ断
ニテ向辺マデ他行(たぎょう)願出候
一小栗史生新田史生風邪ニ付
6 画像(翻刻付)
正月十日
一青山大参事疝瀉(せんしゃ)ニ付参庁断
一小栗史生熊沢使部(しぶ)風邪ニ付参
庁断
一土岐権大属藩庁総代扱トシテ
勢州
皇大神宮ヘ参詣今朝出立
仕丁佐々木惣一郎ヲ召連ル
正月十一日
正月十二日
一知事疝癪(せんしゃく)ニ付参庁断
一紀野少属風邪ニ付参庁断
一安藤権少属疝癪(せんしゃく)ニ付参庁断
7 画像(翻刻付)
正月十三日
一曽我権大属依病気辞職願先達
テ有之候処今日名代呼出ヲ於応接所
少参事出座本官差免ズ名代石
原新(あらた)
一吉村時安母病気ノ処今巳ノ刻
死去依之時安定式(じょうしき)ノ服忌(ふっき)相請(うけ)
候旨中野清儐ヲ以届出ル
正月十四日
一今日文武ノ業発会石ニ付長友
学校懸(かか)リ清服ニテ参庁
一安江義幹(よしみき)明十五日ヨリ来(きた)ル廿六日
マデノ断ニテ梓里(あずささと)ヘ他行願出ル
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正月十五日
一上元(じょうげん)ニ付巳ノ刻諸官員清服ニテ
参庁
一吉田澄暢(すみのぶ)千早正理(まさただ)挑井直行(なおゆき)
風邪ニ付当日断何レモ名代ヲ以
申出候
一水野少参事明後十七日東京
ヘ出立ニ付今日便リ締
正月十七日
一土岐少参事塚本少属小川
少属右風邪ニ付参庁断
一水野少参事今朝東京
ヘ発程(はってい)
一正月九日東京出途(しゅっと)市岡仕
丁今日着
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正月十八日
一別条(べつじょう)無之
正月十九日
一岩井久逸改久五郎棚橋強
改勝太郎右何レモ改名ノ旨
銃手長ヨリ届出ル
正月廿日
一河野仕丁産穢(さんえ)昨日限今日出勤ノ旨
届出ル
正月廿一日
一中根清儐村々廻村渡ニ付引取ノ旨届出ル
10 画像(翻刻付)
正月二十二日
一西野真澄村内出役(しゅつやく)ノ処引取ノ旨出候
正月廿三日
一石原新(あらた)風邪ニ付当日断阿部敬儀(よしのり)
以テ届出ル
一重朝改小栗鶴吉郎達建改結城達之介景将改安池松太郎
右改名届出候
正月廿四日
一土岐少参事妻今朝卯ノ下刻
男子出生右ニ付来ル晦日マデ産穢(さんえ)相
受候旨届出候
一牧大属着ノ旨届出候
11 画像(翻刻付)
正月廿五日
一牧大属足痛ニ付山内権少属疝
癪ニ付右参庁断届出候
一今朝土岐権大属勢州表ヨリ
下向致シ候
正月廿六日
一官員一同旧城ヘ見分トシテ罷越
正月廿七日
一山内権少属疝癪ニ付参庁断届
有之
正月廿八日
一土岐少参事産穢(さんえ)今日限リ
差免ス
12 画像(翻刻付)
正月廿九日
一土岐少参事風邪ニ付参庁
断
正月丗日
二月朔日
一東京府ヨリ藤井永暠並両
掛壱荷到着
二月三日
一佐々木権少属服痛ニ付参庁断
一鷲見(わしみ)顕秀病気全快ニ付今日
出勤ノ旨届出候
一安江義幹(よしみき)昨日他行(たこう)先ヨリ帰宅
13 画像(翻刻付)
ノ旨届出候
二月四日
一西野真澄母方ノ叔母上地村市岡
三郎養母死去ニ付定式ノ忌服(きぶく)相請
候旨名代長谷川庚ヲ以届出候
一神明宮ノ祈年祭ニ付官員一同罷越ス
二月五日
一吉村時安忌差免(さしゆる)シ候ニ付出勤ノ
旨届出候
一青山大参事頭痛気ニ付参庁
断
一兼テ相達シ置候通古庁ニテ今日ヨリ
七日マデ払物致ス
14 画像(翻刻付)
二月七日
一安藤権少属疝癪(せんしゃく)ニ付参庁
断
一西野真澄忌差免シ候ニ付出
勤ノ旨届出候
二月九日
一小川少属産土神(うぶすなかみ)祭礼ニ付参庁
断
一今日締ニテ東京ヘ鈴木仕丁水野
仕丁定日ノ飛脚ニテ差立ル
二月十一日
一種痘用ニテ安江義幹蛭川村ヘ
出張ノ処昨十日帰宅ノ旨届ル
一神田巌(いわお)明十二日出入五日ノ断
岩村表ヘ他行願出候
15 画像(翻刻付)
二月十二日
一土岐権大属外三石昨年帰田法
下調尽力ニ付目録金ヲ賞与ス
一小栗史生不快ニ付参庁断
如月十三日
一岩瀬大属服痛ニ付参庁断届出候
一曽我仕丁出入五日ノ断帰村致度旨
願出候
同月十四日
一日比野村八幡宮御遷宮ニ付岩
島少属小川少属小栗史生
佐々木権少属罷越ス
同月十五日
一日比野村八幡宮御神事ニ付官
員一同罷越ス右ニ付休庁
16 画像(翻刻付)
二月十七日
一市岡桂伜今朝卯ノ下刻死去七歳
未満ニ付今日ヨリ定式ノ遠慮相受
候旨市岡正之ヲ以テ届出ル右山内
権少属甥ノ続ニ付今一日ノ遠慮
致シ候旨届出ル
一安藤権少属疝癪ニ付参庁断
一小栗史生氏神ノ祭祀(さいし)ニ付参庁
断
二月十八日
一日比野村神明宮御神事ニ付
官員一同罷越ス
二月廿一日
一新田史生風邪気ニ付参庁断
一小川少属祖先霊祭ニ付参庁断
17 画像(翻刻付)
一牧大属家族一昨十九日到着ニ付明廿二日拝借
ノ宅ヘ引移ノ旨届有之
二月廿三日
一新田史生風邪兎角不相勝候(すぐれず)ニ付
参庁断
一墳墓ノ儀達ス
一西野真澄父病気ニ付看病願出ル
二月廿五日
一知事疝瀉(せんしゃ)ニ付参庁断
一山内権少属風邪ニ付参庁断
一新田史生母病気ニ付暫参庁断候也
看待(かんじ)仕度旨願出ル
一新律ノ儀布告
一弐拾四文通用鋳銭(ちゅうせん)ノ儀布告
一高山県ヨリ申来候徒罪(とざい)人ノ儀布告
二月廿六日
18 画像(翻刻付)
西野真澄父死去ニ付定式ノ忌服相受候旨名代
中根清儐ヲ以届出ル
二月廿七日
一休庁
高森神社御祭
一曽我仕丁他行先ヨリ帰藩ノ旨届出
二月廿八日
一高森御神事雨天ニ付日延
二月廿九日
一高森御神事ニ付官員一同罷越
19 画像(翻刻付)
二月晦日
一監察掛不時参庁
一高森神 社直会(なおらい)
三月朔日
一土岐少参事服痛不相勝(あいすぐれず)ニ付参庁断
届出
一弥広神社来ル十五日御祭礼ノ旨達シ
三月二日
20 画像(翻刻付)
三月三日
一当賀
一青山大参事遠關日ニ付参庁無之
三月四日
一臨時参庁
一今日締リ東京ヘ石原仕丁差立ル
一岩瀬大属佐々木権少属腹痛ニ付参庁
断有之
三月五日
21 画像(翻刻付)
三月六日
三月七日
一今日出ニテ村々巡見トシテ出役ノ
面々
北方 青山大参事
小川少属
南方 土岐少参事
佐々木権少属
地廻リ五ヶ 岩瀬大属
坂下 山内権少属
一新田史生母不快ニ付着病相願ヒ
居候処追々全快ニ付今日参庁
一東京ヨリ山内仕丁到着
22 画像(翻刻付)
三月九日
一河野仕丁養母不快ニ付同人
看病願出ル
一西野真澄忌差免ス
一曽我仕丁笠松県ヨリ呼出シニ付
彼方ヘ今日サシ出ス
一西野真澄父病気中看病相
願難有仕合ノ旨御礼申出候
一小町光慶実母病気ニ付川明次
第十日ノ断ニテ他行断出候旨銃
手長ヨリ申出ル
一安藤景宜(かげのぶ)今日村方ヘ出役
一詔書(しょうしょ)ノ写官員一同今日拝見右
ニ付明日銃手下遣(したづかい)ニ至ルマデ参庁
ノ旨申達ス
23 画像(翻刻付)
三月十日
一詔書ノ写一同ヘ拝見申付候ニ付
不時参庁
一河野仕丁養祖母今朝卯ノ刻死
去ニ付定式ノ忌服相受候旨届出ル
三月十一日
一参庁例ノ通
三月十二日
一北方並ニ五ケヘ出村ノ面々今夕
帰庁
一吉田澄暢妻今申ノ上刻男子
出産ニ付産穢(さんえ)引籠(ひきこもり)ノ届名代
石原新ヲ以テ申出ル
一堀尾武年妻昨十一日酉ノ上刻
男子出産ニ付右同断名代阿部
24 画像(翻刻付)
敬儀(よしのり)ヲ以テ申出ル
三月十三日
一参庁例ノ通
三月十四日
一明日御神事ニ付今夕官員参
庁
一今日南方ヘ出村ノ面々今日帰藩
三月十五日
一学神御神事ニ付官員一同相
詰
一御神事ニ付休庁
25 画像(翻刻付)
同月十六日
一丸山御神事ニ付学校直会(なおらい)済
ヨリ一同参拝トシテ罷越ス
同月十七日
一参庁如例ノ
一河野仕了忌差免ス
一曽我仕了笠松ヨリ帰藩
同月十八日
一阿部敬儀今日出入三日ノ断ニテ
中津川宿ヨリ巌邑(いわむら)マデ他行願出
一堀尾武年産穢(さんえ)昨日限リ今日
出勤
一東京ヨリ西尾鑑二郎飛脚ニテ
今夕着但シ日遷(ひうつり)
26 画像(翻刻付)
三月十九日
一西野真澄謹慎サシ免ス
三月二十日
一阿部敬儀他行先ヨリ帰藩
一藩県送リノ罪人(とがにん)今日四人相送
三月廿一日
一姫栗村 新社造営ニ付知事
始官員五名参拝トシテ今朝
出村
一西野真澄佐見新田名主申
付候
一村上左内因獄(しゅうごく)方(かた)不束(ふつつか)ノ儀有之
差扣(さしひかえ)申付候
27 画像(翻刻付)
三月廿三日
一今日出ニテ東京表ヘ佐々木仕了
長谷川仕了飛脚差立ル
一西尾公吉改左蔵曽我[祐定 重次郎]ト
改メ曽我祐忠改五一右銃手長
ヨリ届出候
一明後廿五日 神武天皇遥拝(ようはい)
申達ス右ニ付明廿四日夕ヨリ潔斎
申達ス
三月廿五日
一神武天皇遥拝ニ付官員一
同並銃手ニ至ル迄五ツ半時参庁
弥廣社神前ニオイテ遥拝相済
シ候
一小栗史生風邪ニ付参庁断
28 画像(翻刻付)
三月廿七日
明廿八日
一青山大参事岩瀬大属山内権少属
出入十七日ノ御断ニテ伊勢
皇大神ヘ参詣出立
一鈴木使部(しぶ)伊勢
神宮ヘ参詣願出候十七日断
三月廿九日
一中根清檳出役先ヨリ引取ノ旨届出
四月朔日
一安藤権少属他行先ヨリ帰宅ノ旨届有之
一市岡権出役先ヨリ帰藩ノ旨届出
一本日廿一日立ノ前便水野仕丁東京ヨリ着
29 画像(翻刻付)
四月三日
四月五日
30 画像(翻刻付)
四月七日
一佐々木権少属出役先ヨリ昨日着
一安藤権少属疝癪(せんしゃく)気ニ付参庁断届
有之
四月九日
一明十日立ニテ中根揖吉田澄暢(すみのぶ)
静岡藩ヘ練兵修行トシテ罷越ス
右ニ付同藩ヘ當藩庁ヨリ書状相添
遣ス
四月十一日
一今朝出ニテ小栗史生田嶋村ヘ
出役
一青山大参事岩瀬大属山内
権少属鈴木使部勢州ヨリ帰
藩
31 画像(翻刻付)
四月十二日
一東京ヨリ鈴木仕丁柘植奇磨(きま)
到着
同月十三日
一岩瀬大属疝癪ニ付参庁断
一新田史生母方ノ叔父去月廿六日
死去ニ付定式ノ忌服可相受候処
日数相立候ニ付今一日遠慮致シ
候旨届出候
一吉田芳重改名和三郎右銃
手小長ヨリ届出ル
32 画像(翻刻付)
四月十四日
一今日小栗史生出村先ヨリ引取
四月十五日
一加藤乗(まもる)儀忰鍵六不埒(けんろくふらち)ノ所業
有之候ニ付謹慎申付候置候処今日
サシ免ス
一小川少属不束(ふつつか)ノ儀有之候ニ付名代
呼出シ本官ヲ免ス名代佐々木
権少属
一丹羽正良右同断ニ付職務サシ
免ス名代安江義幹(よしみき)
右両條申渡帳ニ委(くわ)シ
同月十六日
一不時参庁
33 画像(翻刻付)
同月十七日
一青山大参事疝癪気参庁
断
一加藤乗数学(さんがく)方差免ス
一岩瀬大属来ル廿六日立申達ス
一鈴木使部
神明宮御造営御用懸リ申付ク
一学校会計ノ議学校懸(かかり)ヘ申付候
四月十八日
一不時参庁
一土岐少参事不束ノ儀有之候ニ付
三日謹慎申付候申渡留ニ誌(しる)ス
一石原保不束ノ儀有之候ニ付使部
サシ免ス
一当名主小栗鹿三郎(しかさぶろう)年寄小栗
34 画像(翻刻付)
治兵衛(じひょうえ)役議差免ス
一山田松影当町名主山下彦
太当町年寄申付ル
四月十九日
一布告四通相達ス
同月廿日
一大属以下不時参庁
同月廿一日
一石原大参事家族北渓屋(きただにや)
舗(しき)ヘ引移候旨同姓新ヲ以届出
ル
一知事霊祭ニ付参庁無之
一村上左内不束ノ儀有之候ニ付仕
35 画像(翻刻付)
丁差免三日謹慎申付ル
四月廿三日
一参庁如例
四月廿五日
一塚本少属熊沢使部出役
先ヨリ昨夕引取
一今日〆リニテ小川仕丁東京表ヘ飛
脚サシ立ル
一岩島少属出村役先ヨリ引取
四月廿六日
一少参事以下不時参庁
36 画像(翻刻付)
四月廿七日
一土岐権大属疝癪ニ付参庁断
一日比野村市岡休蔵忰亀太郎盗業十五才以下
収贖(しゅうしょく)壱両壱分申付ル
一同村鈴木貞治密通堕胎二等ヲ減ジ笞(むち)五十
申付ル
一同村大脇具の(くの)鈴木貞治ト同断徒罪(とざい)壱年
一明日不時参庁
一御用召ノ面々ヘ切紙(きりがみ)差出ス
四月廿八日
一安藤権少属山内権少属小栗史生新田史生
免本官
一勧農人仕丁廃ス夫々転シ免職モ有之申渡ニ
留ル下遣マデ都テ(すべて)減省相成ル
一飛脚ノ儀並官禄ノ内改正布告ニ通達ス
37 画像(翻刻付)
一今日知事ヨリ申渡一統ヘ布告ス
四月廿九日
一塚本少属坂下村ヘ昨朝出張帰宅ス
一吉村時安当町高木新一郎両人丹羽正良妻密夫(みつふ)
一件ニ付不束ノ事共申触(ふれ)シ糺弾(きゅうだん)ノ上三日謹慎
申付ル
一安保正順再吟味過(すぐ)ル元治(げんじ)元丑年十
同村名主大野喜左衛門毒殺ノ義及白状(はくじょうにおよび)
一飛脚賃銀定書及布告
38 画像(翻刻付)
四月晦日
一東京ヨリ本月廿三日出仕丁両人着ス
五月朔日
一知参事始入学一同盛服
学則改正申達ス
一平民乗馬不差許候旨御布告書達ス
五月二日
一福岡村西尾順造古田新介(しんすけ)妻
申付ル成山村
一神土村安江利平治同村今井四方吉妻同断
徒弐年半 申付ル
五月三日
一土岐権少属辞職願書差出ス
一岩瀬大属今朝東京ヘ出立ス
39 画像(翻刻付)
一過ル午年限リ発行銭札来ル廿日マデ引換消札ノ旨
達ス
五月五日
一今朝清服ニテ参庁御祝儀長官ヘ罷出ル
一岩島少属林定義新田義質(よしかた)小栗重義石原
新桜木続不快当日参庁断
五月六日
五月七日
一土岐権大属願ノ通免職
一同人是マデ出精(しゅっせい)相勤候ニ付為賞(しょうとして)金三十両
賜フ
40 画像(翻刻付)
一同人会計方取調有之候ニ付判任之心得を以出仕
申達月給十両被下旨達ス
一田瀬村□□□□妻○密通之儀ニ付不禍
事共申触候ニ付糾弾ノ上謹慎十日申付ル
一神祇史生佐藤正幹御用ニ付上京帰京掛
被相越候旨届有之
一飯地村百姓各務治郎吉妻先達而三子出生
壱人死胎両人丈夫ニ肥立依而窮民之趣
届出候稀成事ニ候得共壱人相果候ニ付
窮民扶助之訳ヲ以成長迄壱人扶持被下候旨達ス
一土岐正武免職并布告回通達ス
五月八日
五月九日
一知事風邪ニ付参廰断
一佐々木権少属娘新田義質妻縁組願書
41 画像(翻刻付)
進達即願之通リ達ス
一御布告写三通并官員邸宅ヘ罷出候者ノ儀ニ付布告壱通達ス
一郡上藩より蚕種ノ儀ニ付掛合御廻章昨日岩村藩より
到来同尾ニ付返却賃銭添差出之
一小栗休六堕胎薬法ヲ用候ニ付徒一年
一佐見村出生 ○ト申者山田□□□ト
密通堕胎いたし候ニ付一等ヲ減し百日禁獄
一鈴木使部西京江立帰リ明後日立申達ス
五月十日
五月十一日
一鈴木使部西京江立帰リ出立ス
一知事大参事分課心得のため出座ス
42 画像(翻刻付)
五月十三日
一青山大参事所労ニ付参庁無之
五月十四日
五月十五日
一官員家族之儀被下布告弐通
一当分ノ内第七字参庁 第十二字退散ノ事
右ノ通面々ヘ達ス
一佐々木権少属娘新田義質妻願移ニ付経引移
即日婚姻相整候旨双方ヨリ届出ル
一岩嶋少属所労ニ付不参
43 画像(翻刻付)
五月十七日
布告書其外自今界紙ヘ相認候旨達ス
五月十八日 昨夜ヨリ暴風雨
五月十九日
一生徒取締学校教官支配ノ旨達シ
一入牢徒刑ノ者とも食料雑費自費たるヘき旨
布告ニおよび候事
一知事 少属岩嶋匡明所労不参
一小栗重義、新田義質留学申付置候処及□
候ニ付糾弾ニおよひ候処恐入謹慎申付ル
一徒刑両人今日差免ス
44 画像(翻刻付)
五月廿一日
一小栗重義新田義質叱之上生徒取締
並旦修行差免ス 名代少属土岐正雄新田名代
俵実
一大参事青山直道大属牧安坤飯田
表他行願今朝出立ス
一少属岩嶋匡明足痛ニ付暫引籠養生仕候旨
届出ル
五月廿二日
五月廿三日
一毛呂窪村百姓□□□□○○密通一件裁許
徒壱ヶ年申渡ス
一東京過ル十七日立 元下遣両人着ス 同日立佐々木綱明
大脇権九郎 石原大参事
僕壱人荷物差送申
一坂下邑縊死届出ニ付使部差遣ス
45 画像(翻刻付)
五月廿五日
一小栗鑑太郎、新田演一郎東京江文学
修行願出候間聞届ル
一神田使部母方之伯父去ル廿一日岩村藩ニ而死去
養子之訳半減シ忌服相受候旨届ル
一潮見百姓神葬願移候處一向宗法談ヘ罷越
候始末吟味致候
五月廿七日
一今朝小栗鑑太郎新田演一郎東京へ出立候ニ付
御用状差出ス
但□而金五両両人江旅費として被下候
一神田使部忌明ニ付昨日出勤之旨届出ル
一佐藤和左衛門養子神祇史生佐藤正幹
双方熟談之上離婚届出ル
但 佐藤正幹ヨリハ東京ニ於テ届出ルヨシ
46 画像(翻刻付)
一英人キング疵為負テ逃去候者有之ニ付御布令写
一統江達
一去ル十七日立佐々木綱明石原大参事僕壱人荷物
着ス 但大脇権九郎病気ニ付養生ノ上帰藩ノ由届出ル
五月廿九日
一土岐少参事所労ニ付不参
一佐々木綱明仕丁場差免シ目録金弐百疋遣之
但 仕丁ノ義ハ東京ニ於テ差免シ候事
六月朔日
一知事紀野少属所労ニ付不参
一青山大参事牧大属昨朝帰宅ノ旨届ル
一岩嶋少属快気出勤
47 画像(翻刻付)
六月三日 今午時八分土用入
一石原新奉公向麁略ニ相心得候ニ付免職 五日ノ間謹慎
申付ル名代阿部敬儀
一今日暑入ニ付追而相達候迄学校休業布告
一越原村安江鍬吉徒刑申付置候処父病死ニ付
今日ヨリ七日ノ間宿下ケ役人呼出相達ス
一徒刑 並松 林増右衛門病気ニ付宿下ケ申付
一當町松尾政七 妹病気ニ付宿下ケ申付置候処
快気ニ付今日ヨリ禁獄申付ル六
一上田村長兵衛宅より出火隣壱軒類焼
ニ付為見届使部差出ス
六月五日
一牧 大属辞職ノ上東京へ修行願書進
達ス
一青山大参事墳墓地願書進達願之通
達ス 但日比野村字原ト申地ナリ
48 画像(翻刻付)
六月七日
一牧大属願之通免職且東京修行中月給
拾両弐人口ヲ賜フ
一中野方村柘植佐吉t病気ニ付徒差免シ収買
申付ル
一宇津尾村杉山丈次郎同断ニ付徒差免シ残リ
日数収買ル
一福岡村西尾種蔵十ケ月徒罪申付置候
處改心之体ニ付八ケ月目ニテ差免ス
一同村西尾順造徒罪三ケ年申付ル
一日比野村岩井喜介笞五十可申付之處病身
ニ付収贖申付ル
一青山大参事ヨリ高山村産土神社造立之
趣ニ付金五両献納致度以書面差出ス
49 画像(翻刻付)
六月八日
一福田権大属棚橋権少属去月廿九日立ニテ着ス
同 九日
一牧 安坤 免職并修行願之通申付候処前都
合ノ儀有之及糾弾候処恐入候ニ付修行出差止申達ス
50 画像(翻刻付)
六月十日
六月十一日
一縁組を始統て願書類并平民脇差不出来 布告ス
一中野縣へ冶介捕縛の儀頼入候段々下られ此度召捕候付挨
拶申遣ス
一塚本少属岩嶋少属笠松縣より帰藩
一中根揖吉田澄暢静岡藩
六月十三日
一知事霊祭ニ付不参
一銃隊休業申達ス
一同断銃手月給三分の壱差遣し補足手
相心得候趣達ス
51 画像(翻刻付)
一生徒取締休業中餘禄(よろく)不被下候事
一銃手左ノ面々差免ス
小栗鶴吉郎 水野牛之介
分部義隆 藤井永嵩
藤田政邦 曽我祐茂
小池房秩(ふさつね) 柴田 栄
芦沢寅三 吉田和三郎
曽我重次郎
六月十五日
一堀尾武年(たけとし)辞表差出ス
一土岐正雄同断修行出願出聞届ル
一明十六日嘉祥(かしょう)ニ付盛服第七字参庁申達ス
一福田権大属ヘ当分ノ内戸籍掛傍ラ神祇
会計両掛相心得候様申達ス
52 画像(翻刻付)
一医師見廻並附諠規則(ふけんきそく)等級順次取究(とりきわめ)申
達ス
一塩見ノ儀以来塩見村ト相唱候様申達ス
六月十六日
一嘉祥(かしょう)為御祝儀第七字盛服ニテ官員一同
参庁
一田島村開拓場為見分知参事ニ始少参事土岐
正紀(まさとし)権少属棚橋朝成(ともなり)土岐正武明十七日出ニテ
罷(まかり)越ス
六月十七日
53 画像(翻刻付)
六月十九日
一知参事始田嶌村ヨリ今夕帰宅
一土岐正雄牧静衛(しずえい)昨日東京ヘ為修行罷出候旨届出ル
六月廿一日
六月廿三日快晴
一堀尾武年(たけとし)辞職願ノ趣尤(もっとも)ノ儀ニ付承届(しょうとどけ)
遣ス是マデ出精(しゅっせい)ニ付為賞金五両賜之
一銃手小長闕役(けつやく)ニ付銃手ノ儀当分軍事懸(かかり)ニテ
指揮致候旨申達ス
一東京表去十七日立飛脚便夕刻着
六月廿五日晴
一今般シベリヤ海岸ヨリ悪性伝染疫病流行ニ付前冊
右予防法御頒布相成候ニ付管下市在ヘ相達ス
54 画像(翻刻付)
旦亦近村ノ向ヘモ相達ス
一当分会計取調中毎日参庁尤第五字出所
十字前退散ノ儀申達ス
一藩庁正門判任以上以下潜(くぐり)ヨリ出入ノ儀申達ス
六月廿六日雨
一若山新田ノ儀高山村ヘ合併ノ義申達ス
一佐々木卯右衛門山崎力馬青山鋋次郎(えんじろう)市岡八十雄
可児吉三郎内藤甚平小池磯(いそ)右衛門右ノ面々
元勤役中金銀銭勘定未納ノ分来月十日
限皆納ノ様申達ス
一中津川宿修験(しゅげん)元両界院事土岐淳郎(あつろう)昨午ノ春
千葉権右衛門一条連累(れんるい)ノ処逃走ニ付段々捜操
致シ今日於中津川召捕ル
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六月廿八日
一熊沢義兵衛宇津尾村名主申付候前段開墾ノ
儀ニ付格別骨折候ニ付於同所千五百坪差遣候
一同人引越ニ付役地手当 三十両遣候
一佐々木綱■(つなみつ)依所労参庁断土岐正紀(まさとし)同断
一知事実母忌日ニ付参庁無之
六月廿九日
一塚本少属依所労参庁断
七月三日
一休庁
七月四日
一知事参庁断
一今日〆ニテ東京ヨリ飛脚市川定右衛門差立
申候中村屋清三郎同伴軍資金差送ル
一市川定右衛門荷物便ニ付弐両増相渡在京中
日ニ弐朱宛(つづ)差遣候段申達
同 五日
一知事参庁断
57 画像(翻刻付)
一福田権大属養父忌日(きにち)ニ付紀野少属依所労参庁断
一中津川宿岩井幸介清水■(まさ)兵衛役人
名代トシテ罷出候ニ付土岐塚本岩島面会
相糺(ただ)ス
一消札一条ニ付村々人撰ノ上呼出シ申談(はなす)
一東京表ヘ飛脚差立
七月六日
一知事大参事青山参庁断
一村々人撰ニテ呼出シ置候者トモ今日於小栗宮
八郎宅酒肴ヲ遣シ候宮員ノ内両三輩如何
金策相談ス
一大脇義俊東京ニテ拝借金上納遅延ニ及
候ニ付書付ヲ以十日限上納可致旨相達ス
同 七日
58 画像(翻刻付)
七月八日
一佐々木綱■(つなみつ)依所労参庁断
一依所労知事参庁断
一伊東祐修(のぶすけ)鈴木孫作加藤欽吾謹慎免ス
同 九日
一知事依所労参庁断
一今夕東京ヨリ便リ当着ノ処別条無之
同 十日
一大参事権少属棚橋中野方村笠置
山ヘ為参詣今朝出立
一知事依所労参庁断
同 十一日 休庁
同 十二日
一知事所労ニ付参庁無之
59 画像(翻刻付)
一大参事権少属岩(棚)橋朝成参詣済引取
七月十四日
一知事大参事所労ニ付参庁
断
一桂川彦右衛門越原(おっぱら)村名主申付候
一西野準之助有本村名主申付候
一越原村名主安江猶一(しゅういち)郎役儀差免ス
一有本村ヨリ吉田村合併申達
同 十五日
一一同清服着用参庁御祝儀本官ヘ罷
出候ス
一知事所労ニ付参庁断
同 十六日
一知事所労ニ付参庁断
一藩造ノ札当月廿九日限消札ノ布告差出ス
60 画像(翻刻付)
一家扶呼出シ糺問ス
一
同 十七日
一知事所労ニ付参庁断
一
同 十八日
同 十九日
一大参事依所労参庁断
同 廿日
一水野少参事東京ヨリ昼夜兼行(けんこう)ニテ
着
一明廿一日判任ヨリ銃手ニ至ルマデ五時参
可致旨御布令
61 画像(翻刻付)
七月廿一日
一知事本官ヲ免ス
同 廿二日