<翻 刻>
管理番号 二七
遠山文書 番号一〇八八
1 画像(翻刻付)
(以下2行朱書)
申 二月十八日出
二月二十四日着
(朱書末)
以郵便致啓上候先以其御地当所
無別条御同慶奉存候
一 当月四日出立致候中ノ方村山田元堂
同十四日到着致候其節被仰越候
当人種痘免状之儀別紙之通
願書差出候間添書之上今十八日
文部省進達致候処御指揮
ニ相成候就而者三ノ日出頭之上ニ而
検査有之候と奉存候
2 画像(翻刻付)
一 安江義幹儀今十八日東校江出
頭候処免状御渡ニ相成候文部
省より免状相渡候旨御達有之候
則別紙ニ御座候
一 先般土岐君御承知之遠山家私債
之儀願書被差出候則願面左之通
元苗木県負債従来買掛り之分
茂有之候処公債ト相成候而者
当今内外御多費之折柄深く
奉恐縮候ニ付右負債之内弐千
九百八拾七両壱分銀五匁五分九厘
私債ニ引請消却仕度此段
御許容被成下候様奉懇願候以上
遠山
東京府
御中
右被差出候処御採用相成候当月
十三日大蔵省呼出ニ付出頭候処
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右遠山家私債之儀ニ付尋問有
之候ニ付則別紙之通取調書差出
候処日比野中録落手ニ相成候
但別紙之内借入と有之分丈取調
帳へ張紙之上書替置申候
一 別紙ニ御座候米屋庄七金高総計
先般御届相成候ニ者四百九拾五両一分
三朱銀二匁八分之処へ百十六両返弁
と有之候今般借入払不足両口ニ
致候処全く総計五百四拾五両
壱分三朱銀二匁八分之内江百拾六両
之返弁ニ相成居候義ニ御座候就而者
右之段日比野へ先般差出候高
相違之処談判致候処承知ニ相
成候御地取調書江御当御算之上
御承知可被下候
一 阿部岩太郎御処置伺御附紙相成
候旨ニ而昨十七日於本県ニ清水氏
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被相渡候今便御廻し申候間御落手
可被下候跡壱人之処未タ御附紙
無御座候不日御催促願差出候と
奉存候
一 水野忠夫山川洋御借渡ニ相成候
御書籍当人共より相当之御直段ニ而
御払下相願度旨申出候此儀
土岐君よりも御咄し御座候間相当之
直段ヲ以払下取計候積ニ御座候
猶後便被仰越被(可カ)被下候
一 日誌新聞類別冊之通御座候間
御落手可被下候
一 先便申上候文部省江御猶予願指
出候儀者全く心得違ニ而申上候事
跡ニ而能く相考候処差出ニ不及候義と
奉存候就而者清水君江も御談も
不致又文部省へも御猶予願不
差出候間左様御承知可被下候
5 画像(翻刻付)
各位益御清福被成候奉務
奉欣然候御引渡も如何ニ御座候哉
定而日々夜々之御勉励之儀と
奉遠察候当地ニ而者無滞
御引渡之御報知ヲ奉待而已
恐惶謹言
二月十八日 千早正路
県庁
御中
一 今十八日朝第七字頃西丸大手御門
見付面番所之裏ニ疑しき物十一人
程忍入候を見出夫より直ニ両御門閉候而
御門兵捕亡ニ及候処一同抜刀ニ而手向
被致候由直様跡御親兵二小隊程操
込候而砲発ニ及候処終ニ降伏ニ而
捕縛ニ相成候由中ニ者長刀抔所持
又柄先三尺以上之刀抔皆所持
有之右者不残取上捕縛相成候ニ付操込
6 画像(翻刻付)
御親兵も一ト先第八字過引取相成候趣
堀尾貢神祇省退参掛右始末一見
之旨九字項参邸右之咄ニ御座候
未夕今朝之儀故何物か吾一切不
相知存外之義ニ御座候追々伝聞之上
後便委曲可申上候御所内大ニ
動揺之由ニ御座候
申 二月十九日出 同廿三日着
一筆致啓上候春暖之砌
弥御堅勝被成候奉職奉恐
賀候陳者今十九日司法
省御呼出ニ付出頭候処
田口定次郎御処置伺御附
紙ニ相成候ニ付直ニ以郵便
御廻し申上候間正ニ御落手
可被下候也
東京出張所
二月十九日発
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県庁
御中
(以下2行朱書)
壬申
三月十日着
(朱書末)
三月六日発
用状
東京
出張所