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タイトル 概要・解説 更新日
久保田関中村三氏勧業之文
明治末年、師である保井抱中(宮内省御用職)が、皇居桐之間桐花蒔絵大書棚の製作を拝命した。それに伴い、弟子である吉田包春は家族を伴って東京に引っ越し、保井抱中の作業を助けることを決めた。その包春の強い決意に敬意を表して、京都や奈良の帝室博物館館長を勤めた久保田鼎(くぼたかなえ)、貴族院議員であり奈良帝室博物館学芸委員を勤めた中村雅真、奈良の豪商であった関藤次郎(せきとうじろう)、そして包春の兄である吉田立斎(1867-1935)、北村久斎( 1875-1959)らが大正2(1913)年2月5日に宴を催した。その際に久保田鼎、中村雅真、関藤次郎の三名が賛辞を送ったことをそれぞれが記した書である。
2022.6.16
絽紺地裾暈し単 千鳥・撫子・女郎花文
吉田家よりご寄贈いただいた着物は全部で九点である。これらの着物は全て、和裁を教えていた包春の妻愛子が仕立て、包春が正倉院文様を描いたものである。「羽二重緑地桔梗文裾模様 正倉院山水絵図密陀絵盆文様(No.48)」は、「密陀絵盆 山水絵図(No.13)」や「密陀絵盆之図屏風(No.21)」と同様に、包春が好んで用いた図柄である。また、「絽紺地裾暈し単 千鳥・撫子・女郎花文(No.45)」には、包春手書きの和歌が鏤められている。
2022.6.16
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